行く手のなくなった履歴書。
1枚の、心を込めて作った履歴書。
新卒の就職活動振りに
過去の自分の資格や、他には無い、先方でこそ働きたい理由などを考え、加えて趣向を凝らし、最後に顔写真を貼った履歴書。
先方には開いてもらう事も出来ず、お蔵入となってしまった。
そのとき私は、「失礼な断り方と悲しい断られ方」を体験した。
それ以外、少し心に、
ぽっかり穴が空いてしまったような、
そんな感覚を感じている。
先日とあるフラワーショップにアルバイトの申入をしたのだが、まさに
玉砕
したのだ。
そこで、言われたことばが
「○○さん可愛らしいし、他でも引く手数多でしょう」
というもの。
ふと、傷心のまま家へ帰り、主人に結果を伝え、時間は流れていったが、その夜の風呂場で、このことばがフラッシュバックしたのだ。
ことばを選ばずに、そのまま書いてしまうと
悔しい。ムカつく。悲しい。
という素直な感情だ。
事情を話すと、
私は、フラワーショップでの勤務は未経験。且つその店は正社員もアルバイトも募集をかけていなかった状態。
そんな状況ではあったが、前からSNSでその店を知っていた私は、初めて足を運ぶその日(アレンジメントレッスンを受けたその日)に履歴書を携えて向かった。
空間、人、花、
どれもが自分の理想とする場であり、これも運命。と直感を信じ、思い切ってレッスン後に切り出したのだ。
ゴソゴソと封筒を取り出し、
「店主の方はいらっしゃいますか?実はこちらで働きたいと考えておりまして、履歴書を持って来たんです。」と。
話しかけたその人が店主の妻(共同代表)で、話を聞いて貰った。
「うーん、うーん」と悩ませてしまったが、意外にも早いタイミングで、回答は返ってきた。
「今は募集をかけてなくて、、」
履歴書を開いて貰うことも叶わず、問題の、
上のことばをかけられた。
対応してくれた店主の奥さまを責める気は一切ない。
だが、そう評価されたことが悲しかった。
その日は自分なりに、そのフラワーショップに合うような身なりに整え向かったのは確かだ。
年相応で、自分もお気に入りの服を着、小綺麗な格好だったとは思う。
ただ、自分のことを可愛いとは思ったこともないし、中の中(むしろ下より)だと自分では思っている私に、こんな表面的な評価で、自分の花に対する想いややる気を見て貰えなかったことが虚しくて虚しくて堪らなかった。
(ここでは読んでいる人が私の顔を知らないことで「(かわいくないなんて)そんなことないよ」と言ってくる知人が居ないことがきもちがよい)
履歴書を書いている時に、この店じゃなきゃいけない理由も、自分がその店を好きだと思える理由も沢山あって、
あぁ
思っているより自分はこの店が好きだし、
多分、向いている(はずだ)し、
ここで一歩踏み出したいんだ、と
思っていたのだと、終わってみてから感じた。
募集をかけていない時点で、無理は承知で持っていった履歴書だったが、あまりにもその履歴書と私の想いが強くあったことを、今になって感じている。
そこで働ける日を願い、近くのフラワーショップにトライしてみようと、そう思う今日この頃だ。