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『NANA』からの『幻の朱い実』
大晦日、矢沢あいさんの『NANA』がLINEマンガで全巻無料になっていることに気づいて、あわててアプリをダウンロードして読み返したんです。
わたしリアタイ勢なんですよ、『NANA』。
雑誌(『Cookie』)連載時の人気はそりゃあ凄かった!7巻と8巻の間にファンブックまで出ましたからね!
父や弟まで私の持ってた単行本をこっそり読んでて、買わなくなった頃は「NANAの新刊を本屋で見かけたけど、買わないの……?」とおずおず申し出てきたくらいです。
そう、途中で買わなくなっちゃってたんですよね。
『NANA』は構成からしてオシャレで、1巻は長めの読み切り2本。
まずは山の多い地方都市の平凡な女子高生、奈々の話。惚れっぽくて軽く見えるけれど純情な奈々の、ままならない恋愛模様が語られます。
次いで、寒そうな海沿いの街でロックバンドのボーカルをやってるナナの話。奈々とは打って変わって壮絶な生い立ちと、魂を削るような一生一度の恋と別れ。
この二人が出会うのは2巻。上京する新幹線の中で出会い、古い(でもめっさオシャレなクラシック物件)アパートの707号室で同居することになった奈々とナナにはさまざまな変化が待っているのですが、一貫して変わらないのは、二人がお互いをとても好きなこと。
当時は今と違って女の子同士の恋愛に関する漫画がたくさんあるわけじゃなかったけど、この二人のお互いへの執着には、「友情」だけでは語りきれない何かがあります。
二人は同性愛者としては描かれていなくて、むしろ複数の男性の間で揺れる奈々や、ナナと運命の相手・蓮との絆を軸に話が進んでいくのだけど、奈々とナナが屈託のない、まっさらな幸せを手にしている(ように描かれている)のは「707号室」でルームシェアしていた時代で、後年の二人は必死にお互いを、そこにあった幸せを取り戻そうとあがく。
でも男子との恋愛や、そこに付随した(付随しちゃうんだよなあ……)社会的な自己実現がうまく行けば行くほど、「社会」の問題が彼女たちを縛り付けます。
何も持ってなかった頃、無邪気に憧れていたトップスターやセレブ妻の座は、全然いいものじゃない。読者にも、作品世界に生きる人たちの息苦しさがひしひしと伝わってくるんです。
あまりに苦しくて、まだ本格的な人生が始まる前だった私は遠ざかっちゃってたんだと思います。
今でも『NANA』と聞けば思い出すのは、はじめの頃の瑞々しい二人。まだ何も無い707号室に、100均でかわいいグラスを選んだり(このグラスが、話が進むと地獄みたいなアイテムになるんだけどよう……)、DIYで窓辺にぴったりのサイズのテーブルをこしらえたり、ベーカリーでパンを買って河原に座って食べたり。
再読して、この「ずっとここだけ読んでたいくらい素敵なぶん、先で待ってる地獄が辛い」感じ、どこかで知ってる……と思い続けてたんですが、年が明ける頃気づきました。石井桃子さんの『幻の朱い実』だ!
こちらもガール・ミーツ・ガールもので、モデルは石井桃子さんご自身と彼女の親友・小里文子さんです。
昭和初期、今で言うNPOみたいな団体で働く職業婦人(わたし憧れの『女子アパート』に住んでる!)の明子と、元編集者で文壇では有名な美女(今で言うところのインフルエンサーか?)、蕗子。
おっとりして、万事控えめだけど自立心旺盛で、時々大胆なことをやらかす明子は、現代の文脈でいうと「おもしれー女」でしょうか。蕗子は自由奔放でおおらかで、楽しいことに敏感で行動力のある人。二人は女子大の先輩後輩だったけど、学生時代の交流はなく、再会後に急速に距離を縮めていきます。
持病があってプー(くまではない方の)状態の蕗子の家(この居心地よさげな小さなおうちが、707号室と同じくらい憧れのかたまり!)に明子が通い詰め、二人で舶来の雑誌を見ながら温かくてイケてる服を作ったり、市場で買い物しておいしい料理を作ったり、お金がないなりに工夫して「生活」を作りあげていく。
『NANA』もそうなんだけど、私は同性の仲良し二人(もちろん異性でもいいんだけど、権力勾配を一切感じさせない関係の男女カップルって、日本ではまだまだ多くないから)がお互いをリスペクトしながら、ささやかな、でも創造的な暮らしを楽しんでいるのが好きなんだなあと思います。
その状態を持続させるのは難しいから、なおのこと。
明子の結婚と蕗子の病状悪化で、二人はだんだん会えなくなっていく。
この、敵がいるわけじゃないのに「結婚とはそういうもの」という社会通念に明子が絡め取られていく感じ。石井桃子さんは生涯独身だったのに、どうしてこんなに生々しく描けたんだろう。お姉さんの影響だとしても、鬼気迫る描写力です。
嫁という立場に疲れ切った明子は臥せってしまい、回復したらしたで家族の介護に追われ、夫や家族の気遣いという名目で、仕事も、自由になるお金も奪われてゆく。
あんなに楽しげだった日常の描写は影をひそめ、どのページも病床の蕗子からの手紙のみになっていく。(この手紙が全然辛気臭くなんかなくて、蕗子ならではのユーモアと気遣い、二人の間だけで通じる符牒と固有名詞にあふれているのが逆にしんどい)
『NANA』はまだ完結していないけど、2巻からずっと、後年の奈々のナナへの悲痛な呼びかけが伴奏のように続き、読者は二人の別れを予感しながら物語を追うことになります。
明子と蕗子にも、また予感通りの悲しい別れが待っている。
女もつらいけど、男もつらい。(また、両作品とも出てくる男がみんないい奴なんだよ!)
それはわかっているけれど、女の子が社会のしくみから逃れて、友だちと対等な絆を築ける時間はどうしてこんなに短いんだろう。
描かれる年代には半世紀以上の開きがあるのに、その点が全然変わっていないことにもちょっと唖然とさせられます。
でも、両作品には共通する救いがあります。それは、親友との悲しい別れが主人公の破滅として描かれてるわけじゃないこと。
明子は夫と共に戦中戦後を生き延び、病床の蕗子のために翻訳し続けた『くまのプーさん』を出版し(ここらへんは石井さんの実体験)、年老いても好きな仕事を気ままに続けながら、娘や孫と仲良く暮らしている。
後編では、そんな明子が、蕗子が語らなかった彼女の姿を調査していくことになります。
悲しいから何度も言うけど、『NANA』は未完です。でも奈々はナナと会えなくなった後も707号室を手放さず、穏やかに子育てをしながらナナを待っている?ことがわかる(すみません、途中で除夜の鐘が鳴っちゃいまして、最新刊までは行けませんでした……)。
結婚とか、子育てとか、介護とか。
とかく女は好きなものや好きな人から切り離されやすい。でも、続ける選択肢だって、あっていいんだよ。
友情じゃなくたって、仕事でも、趣味でも、自分をキラキラさせてくれる大切なものは手放さなくていい。分断されても、しぶとく行こうぜ。
令和の今よりもずっと、女が「男のために」生きなければならなかった時代の2作品が、そう教えてくれている気がします。(あ、『幻の朱い実』は内容は昭和だけど上梓は平成で、『NANA』とは4年くらいしか変わらないよ)
『NANA』の作者の矢沢あいさんは療養中ということですが、心身ともにお元気になられるよう、そしてもしできたら『NANA』の続きを描いてくださるよう、そしてそして、もしできたら、それが希望のあるお話でありますよう。
その時この日本が、時を経た奈々とナナの笑顔が似合う世界でありますように。
そう祈らずにはいられない新年になりました。今年の一冊目は、『NANA』の未読分を買って読みますね。