子育てできないんじゃないかという思い込み
更新をきちんと再開し始めた3日目。
今日はnoteで募集しているお題への参加。
でも、
少し重いかもなあと思ったりもするので、
軽い話がいいよー
という方は回れ右でお願いします。
(読んだことある方は知っていると思いますが私の育った環境のお話が出てきます)
でももし、
自分が子育てむいてないかなとか
うまく家庭を築けるのかなとか
子育てに悩んでいる人がいたら
余裕がある時に、よかったら読んでみてください。
少し晴れるかもしれないと思うので。
というわけでここ最近で
がなんだろうと考えた結果、私の脳裏に最終的に上がってきた
「子育てできないんじゃないかという思い込み」
が変わったなあと思ったのでお話ししたいと思います。
自分の環境が変わるまで、怖くて、でも欲しかった家族
先日無事、子供が4歳になり、早いもんだなあなんて思っているのですが、妊娠中はもちろん、出産後3ヶ月くらいまで私には、「とある不安」がありました。
それは
自分が子育てできるのだろうか
というもの。
出産間近には急に
子供をかわいいと思えるだろうか
なんて不安も。
マタニティーブルーといえばそれまでですが、私が、以前こちらの記事でも書きましたが
とても簡単に書けば、「毒親」というか、「毒家庭育ち」であることが大きく影響しています。
その言い方が悪いという人がいるのも知っているけれど伝わりやすい言葉で言うとそういう言葉になってしまいます。
また、毒親、毒家庭という言葉だけでは片付けられない感情もあって、また上記の書いたことでも当たり障りの少ない範囲であって、いろいろな思いはありますし、私の家族にもきっと別の言い分、見方があるだろうと思っています。
なのでわかりやすい言葉でいえば、という表現付きですが。
で、そんな環境で育った私は、ただでも子育てというものが分からなくて、家庭を作るということについても不器用でした。
今でも一般よりはそうかもしれないと思っています。
そんな私に母が時折言っていた言葉の一つで抜けなかったものがあります。
それは
「育ててみればわかるわよ、子育てがいかに大変かって」
という言葉でした。
これには子育てをしている親として一方で異論はなくて、確かに大変なのですが、実際に育てられている子供がそれを言われた時、幼い私には私の存在に問題があるように受け取られ、後に深く残りました。
(何回か母が私に言ったのもありますが。ただ母は私にそれほど育てにくい子供ではなかったと言っていましたが・・どういうことよ・・っていう・・)
そして、大人になるにつれ、そんな「私」が「子育てができるのか。できないのではないか」というぼんやりとした思い込みに囚われていくようになっていました。
しかし、実はこの
子育てができないのではないか
という思い込みに囚われていると気がついたのは実際に妊娠し、出産に向けた時でした。
それまでの私は家庭がうまく築けるのかという不安や怖さがあったものの、家族は欲しいと思っていたんです。
家族が機能不全だったからこそ家族が欲しかったのだと思います。
やり直したい・・というような感情でしょうか。
で、出産に向けた時に漠然とした思い込みに囚われていることに気がつきました。
当時は思い込みというよりはそれが真実なのではないかという不安でした。
ただ、本当に出産間近にそれを思い出し・・・そんな時に気がついても遅いわけで。
突き進むしかありませんでした。
出産後から4年経った今の変化
出産後すぐに子供がかわいいと思えるかという不安についてはなくなりました。
かわいい
という思いが普通に沸いたからです。
でも3ヶ月から半年くらいは子育てができるのかという不安、思い込みについては払拭できずにいました。
以前noteかブログかちょっと失念したのですが、少し書いたことがありますが、これは家庭環境に問題があった人が上手に子育てをできている情報が極端に少ないことも影響しています。
事件が起きて家庭環境に問題があればとりざされるし、逆に今がうまく行っている人はわざわざ辛い過去を掘り起こしたくないのでしょう。
そう、うまくいっている見本を見つけられなかったんです。
そうなってくると、自分がうまくいくかいかないか進んでわかっていくしかないのであって・・。
本当は、人がうまくいこうがいかなかろうが、自分がうまくいかないという話ではないし、うまくいく保証もないんですけどね。
でも安心材料が見つけられなかった。
そうして4年が経ったわけですが。
出産後3ヶ月から半年くらいまで不安と書いたのは、そこから少しずつではあるけれど自分の思いは思い込みだということに気がついたから。
子育ては日々の積み上げです。
子供が生まれて環境は激変しました。
環境が変わって気がついたことも多くありました。
それでもうまく子育てできているかというと
上手ではないと思っています。
これからもきっと下手だなあと思うことはあるでしょう。
でも、
自分が辛かったからこそ、その辛いことはできるだけ避けるということも人間はできるわけです。
それでもやっぱりその怒り方はどうなんだろうとか、これは間違っているかなあとか子育てしている中で自分で思ったりすることもあるし、子供の明るさに助けられているところもたくさんあります。
でも最終的には子供との暮らしは楽しい、愛しいと感じています。
そして、最近になって母から「子供が嫌いなのによく子育てしているね」と自分の弟に言われたことがあるという話が出てきまして。
ああ・・そうか。
単純にこの人は一般的に子供が好きではなくそれで、さらに子育てが大変だったのか。
と、私が子育てができないというのは思い込みだなと思えるようになってきたのです。
子育ては間違えなく大変ですが、できないことはなくて、さらには今はいろいろなサービスを使い倒したりすれば少し楽になったりすることもあります。
お金の面もそう。
お金がかかるから子供を産めない、産まれても大丈夫かなと不安を抱いている人がいるかもしれませんが、かけようと思えば無限大ですが、工夫次第というところもあったりします。
結構子育てについては思い込みが多く存在しているなあと思っています。
その思い込みに苦しむことも多々あるものが子育てだなと。
そして、ある日急にその思い込みから解き放たれる時もあるのだと思います。
思い込みが変わって子育てが楽になるわけではないですが、ただでも大変な子育て。
少しでも明るい日が多いといいなと願いながら。