過去の自分へ
久しぶりにnoteを開いて。
いろいろ自分の考えをクリアにしたいなと思って何か書こうかなあと思って開いたんだけれど。
空きすぎてて何を書けばいいんだか状態。
いや、書くと決めていて書き溜めているものもあるんだけれど。
そんわけでお題を開いたら、ちょうどいいお題が!
こじつけ?
あったのでのってみます。
久しぶりのnoteでそれかよっていう話ですが、良かったらお付き合いください。
過去の自分との比較
最近よく思うことは今、自分の過去と比べて、一般的にも、相対的にみても多分、幸せだということと、それに感謝しなければいけないのだなあということ。
旅行も行けているし。
(写真は今年沖縄に行った時の海です)
何より自由な部分が多い。
いろいろ制約がないわけではないけれど、逃げ場がなかった子供の頃とは訳は違う。
そんな未来想像だにしていなかった。
もちろん上を見れば幸せそうだなあっていうのはいっぱいあって。
でも「幸せ」って自分の基準値だから、私はこれくらいの基準値で生きている自分を気に入ってる。
幸せの基準が低い方が生きやすいよね。
でも一方でこれは実は逆説的で、幸せな癖に小さいことにくよくよしたり、疲れたりしてしまうから「今、十分幸せじゃん、足るを知れだよ」と自分自身に思うのだけれど。
今の状況は過去の私にとって本当に想像だにしない未来だったと思う。
特に中学生までの私には未来に絶望しかなかったから。
その話はこの辺を読んでもらえれば多少想像できると思うのだけれど・。
当時は絶望だけだと思っていたけれど、でも、今思うと多分、その中に一筋の光を求めて、歩き続けてはいたのだと思う。
実際に家を出るためにお金も貯めていたし。
でも、それは単純に若さゆえに見えていたものだと思う。何も知らないがゆえに外に出るパワーがあったというか。
苦しかった過去の自分が今の自分を支えている
もう一度あれを味わいたいかと言われると本当に真平ごめんで、ましてやこの間Xで呟いたように
https://x.com/sorayuki264/status/1851054146105045274
機能不全家族に育つと(毒親という言葉が好きなわけではないのでこう書くけれど)そこを出た後も苦しむことも多くて、いまだに悩むこともたくさんある。
いや、本当に。
親の介護が入ってきて。
一番関わりたくない人とも関わらないといけずで・・。
あまり細かくはあれなんだけれども。
一人で考えなければいけない、決めなければいけないってことが多くて。
当然、年取ってくれば親を亡くしたりなどがあるので、そういう方は多いと思うし、ましてや私は自分で選んだ道でもあるので致し方ない部分も多いのだけれど・・。
でも時折、なんかしんどいな・・と思うこともなきにもあらず。
それでも、今あるのはあの時の自分があってだなと思ってる。
というのは、早くから私は自分で自立して生きていくということを目指していて、それこそFIREではないですがいかに今と将来を安定させるかということに焦点を置いて生きてきたから。
だからこそ、単価が将来的に上るように自分のスキルを磨いたり自分に投資も、実際の資本を増やすこともしてきて。
これは自立しなければいけないという状況でなければ多分しなかったと思う。
別に中学の時での話ではなくてこれはずっと。
ずっともがいてきて、その上に想像しない未来が確立されてる。
だから辛いことがあってもきっとこれが未来を作る。
そう信じて
過去の自分と、今苦しんでいる人の何かになれば。
次回以降のお知らせ
いい加減、次のマガジン、はじめます。
年末年始、目指して書き溜めているので(誰も待ってないって話もあるけど)
良かったらまた遊びにきてね。
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