第一子生後6か月で職場復帰した話

産休・育休を利用して子供を出産し、第一子が6か月のころ、4月から職場に復帰したころの話です。新しい部署で新しいメンバーと仕事に取りくむ日々。子供を産んだ後も同じ職場で仕事が確保されているなんてありがたいなあ、と呑気に思っていたのもつかの間。大変な日々が待っていました。。

「お迎えをお願いします。」

順調なのは、4月中くらいだった。GWを過ぎたあたりで、保育園からの呼び出しが多くなった。
「お子さんが熱を出したのでお迎えをお願いします。」
これが一度や二度ではない。職場に着いたとたんに電話が鳴ることも。最初はしょうがないねというチームの面々も、だんだんと反応が悪くなっていく。無理もない、突発的に休まれるとほかの人に負担がのしかかり、予定が狂っていくのだから。
何とか信頼を失わないようにと仕事に取り組むも、焦りから細かいミスを連発、さらにチームリーダー(女性)から怒りを買い、更に焦ってしまいミスがいつまでたっても治らない、のループ。私にコミュニケーション能力があれば少しは違ったかもしれないが、コミュ障の私にはハードルが高い。時が経過していくにつれ、徐々にチームリーダーの声が大きくなり、部署全体に広がる始末。他のチームから「あそこは大丈夫なのか?」と囁かれるほどになっていたらしい。
お迎えの度、突発的な休みの度、何度職場で頭を下げただろう。何度も頭を下げ、そのたびに怒鳴られる。
「私たちにもプライベートがあるの、都合があるの、あなたの欠勤や早退でどれだけ迷惑をこうむっているかわかる?」
想像がつくだけに、この言葉が一番きつかった。

夫にも頼れない

欠勤が多くなり、有休も使い果たし、どんどん増えていく休み。どうしたものかと熱を出さないようにと情報を集めてみるも、効果なし。夫に代わりにお迎えに行ってほしいとお願いしたが
「予定を変えたくない。」
と頑なに断られた。会議が多く、休むとほかの人への影響が多いことが理由だった。子供が熱を出した朝、土下座までして夫に代わりに休んでほしいとお願いしたが、そのまま夫は出社。大号泣したこともあった。

精神的に追い込まれていったある日、出社前に子供がまた熱を出した。これ以上休んだらまた怒られる、と思った私は、寝ていた夫をそのままに早めに出勤。当たり前だが、後から夫から怒りの電話がかかってきた。夫が休めないのもわかるけれど、私も出社しないといけないんだよ、といったところで理解されるわけもなく。お互いに自分のことで精一杯。私たち夫婦にとって、この時期が一番地獄だったと思う。

真夏の街中で立ち尽くす

特に今でも忘れられない思い出がある。
8月の第一営業日、その日は絶対に休んではいけない日だった。しかしやはりお迎え要請。なぜ絶対休めないときに子供は熱を出すのか。
とにかくかかりつけの病院に行かなくては。子供を保育園から引き取り、手っ取り早くタクシーを拾おうとする。が、夏休み真っ盛りでどのタクシーもお客さんが乗っており、止まってくれない。そのうち子供が泣き出した。ふと見ると子供の皮膚にあせもができていた。
こんな時に、また問題が増えた。
どうしよう、どうしたいいんだろう。
太陽が照り付けるなか、子供を抱えて立ち尽くした。
気が付いたら、家に帰っていた。荷物を確認したところ、どうやら病院には行けたらしい。しかしそのあたりの記憶がぽっかりと抜けている。どうやって行ったのか、今でも謎だ。

それでも辞められない

針のむしろのような日々。家でも育児に追われ休まることはない。仕事をやめようと思ったが、それはできないとすぐ答えが出た。
まだ赤ちゃんの子供を抱えて休む確率の高い人を、どこの会社が雇うだろうか。それに今の中途半端な状態で辞めたところで、次の仕事でもいい成果が出せるとも思えないし、これから社内で産休・育休を予定している人へ影響が出るかもしれない。また、当時は夫の給料も決して高くはなく、無理をしてでも働かなくてはいけない。どんなに針のむしろでも、この子を死なせてはいけない、行かないといけない。
親としての義務感だけが、私を突き動かしていたような気がする。子供をかわいく思うような余裕は、ほとんどなかった。休みの日にお出かけしても、心の底から楽しめなかった。心がしんどかった。

状況の変化

しんどい日々だったが、状況は徐々に変わりだす。子育て経験者の存在が影響をもたらしていった。チームでは私以外に子育ての経験がなく、苦労を知らないために厳しい言葉が増えていた。見かねた上司(子育て経験者)が子供がいることがどれだけ大変かを説明。それをきっかけに、お互いに理解しあおうと歩み寄るようになっていった。
さらに、復帰して1年経過し、チームのメンバーも妊娠が相次いだ。辞める人もいれば、私のように産休・育休を利用して復帰する人も。あのチームリーダーも出産し育休後にに復職したものの、保育園からのお迎え要請が増え、数か月もたずして間もなく退社。
「ほかの人がお迎えになったらあんなに喚いていたのに、自分はさっさと辞めるなんて」
と不満の声も。私自身は正直「どうでもいい」という思い。育児や仕事で気にするどころではなかったので。

仕事の変化

大変な時期ではあったけれど、自分の仕事への考え方や働き方への意識に大きな変化も。これまであまりほかの人の動向に気が向かなかったが、徐々にチーム全体の進捗を見るように意識を変えるようになった。
また、こまめにお互いの進捗を確認したり、手順書を整備したり、優先事項をチーム内で共有することで、突発的な休みになっても対処できるように。誰か一人に責任がのしかからないよう、あの人がいなければ何もできないという事態に陥らないよう、チーム全体で取り組むようにしたことは大きかった。
この変化も私一人で成しえたわけではない。チームに子育て経験者が加わったことが大きかった。理解者が一人いると、それがチーム全体に波及し、上記の協力体制が整っていく。この人の存在の大きさはここでは書ききれない。今は私は当時の会社を退職しているが、今でも感謝している。

夫の変化

夫の側でも変化が起きていた。子供が生まれたころ、夫の同僚は独身ばかり。こちらも子育ての理解が最初はなかなか得られなかったらしい。
夫が上司にお迎えに行きたいと告げたところ
「そんなの奥さんにやらせればいいだろ!」
と拒否されたという。しかし、この上司に子供ができてから、お迎えにいくことを相談したら、「早く行きなさい!」と言われるようになったという。・・・何があったのか。
また、ある後輩が結婚し子供が生まれ、いきなり謝られたという。
「なんでいつも夫さん眠そうにしているのかとイライラしてたことあったんですよ、今仕事中なのにって。けど子供ができてわかりましたよ。親は寝れないですね。毎日眠くて。。」
一人経験者がふえると、徐々に波及していく。理解者が増えると、夫も子供の世話のため私に代わってお迎えにいったり休むことができるように。
夫がこれまでのことを振り返ったことがあり、その際に
「負担ばかりですまなかった」
と夫から謝られたときは、号泣した。

今思うこと

子育ては大変で、思う通りにはいかないし一人ではままならない。だからといって、助けてもらうことが当たり前だと思ってはいけない。感謝の言葉を忘れてはいけないし、自分が助けてもらったら、それをいつかは返す。そのくらいの気持ちでいなくてはいけない。他の人にも都合や予定があり、助けてくれるときはその都合に影響が出ている可能性がある。私が復帰一年目の時、この意識が低かったこともあり、余計に厳しい言葉を向けられることになったかもしれない。助けてもらったことを、少しずつでも何かの形で返していけたらいいと思っている。

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