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10年前の今日
この日のことはよく覚えてる。
朝から吐き気で起きて
トイレに駆け込んで
2、3回吐いた。
「なんだこれ…変だな…」
と思いながら
会社に遅刻すると電話をして
休めばいいのに
この頃はバリバリの社畜人間だったので
無理やり会社に行こうとした。
電車に乗っても
何回か降りて
トイレで吐いてを
繰り返していた。
家を出て2時間くらい
お昼の1時前くらいだったかな。
会社にやっと着いた。
チームリーダーが
「みんなお昼行こー!」と言って
私は出社したばかりだったが
おいでおいでって言うので一緒に出た。
中華屋に連れていかれたが
気持ち悪くてそんなに食べられなかった。
会社へ戻って
さぁ仕事始めるか!と思って
始めた直後くらいに
地震が起きた。
会社はビルの9階にあったので
すごく揺れた。
怖すぎてすぐ机の下に逃げた。
机の上からパソコンやいろんなものが降ってきた。
無理して出社したことを
ものすごく後悔した。
出社せずに家にいればよかった。
怖くて死ぬかもと思って
不安げにしていたら
隣の席のおばさんが机の下から私を見て
「大丈夫、大丈夫、このくらいなら大丈夫だよ。」
と言ってくれた。
おばさんは阪神大震災を経験した人だったから
これくらいならこのビルは倒壊しないから
大丈夫と言ってくれた。
揺れがおさまって
机の下から出て窓の外を見たら
向かいに立っていた高層ビルは
ものすごく左右に揺れていた。
もうそれを見てから
高層ビルに住みたい願望なんかもともとなかったけど
余計に住みたくなくなった。
全員避難することになって
近くにあった芝公園へ行くことになった。
芝公園へ着いたら
みんなが東京タワーを写真に撮っていて
なんでそんなに写メ撮ってんだろうと思ってよく見たら
東京タワーの先っちょがヘニョっと曲がっていた。
あんなでかいもんが曲がるなんて
どんだけ力が加わったんだろうと
恐ろしくなった。
何回か会社へ戻ったり
避難したりを繰り返して
仕事にならないから解散ってことになって
電車は動いてないから
歩いて帰ることになった。
幸い途中まで同じ方向の子が5人ほどいたので
みんなで一緒に帰った。
その当時私は川崎に住んでいて
川崎手前の橋を歩いている時にはもう真っ暗で
遠くの海沿いの方で大きな火災が見えていた。
その頃にはもうみんなと別れて
ひとりで歩いていたが
周りにはたくさん人が歩いていた。
兄たちや家族に連絡したくても
携帯の電池も切れてしまっていた。
会社を出て5時間半ほどで
やっと自宅に着いた。
しかし停電になっていて
オートロックのマンションは開かなかった。
非常階段の方へ回ってみたが
なぜか非常階段の扉も開かなくて
マンションに入ることができなかった。
どうしよう…と思って
そうだ、お母さんに電話しようと思ったが
携帯は切れていたから
公衆電話を探したけど
その頃すでに公衆電話もあんまりなくて
やっと見つけた公衆電話には
10人ぐらいの人が並んでいた。
自分の番が来てお母さんに電話をしたら
区役所へ行きなさいと言われた。
幸いその公衆電話は区役所の真ん前だったので
すぐに区役所へ行って
事情を説明したら
ここにいてくださいと言ってくれたので
一晩区役所で過ごすことにした。
「申し訳ないんですけど
どなたか充電器持っている方いないですか?」
と尋ねたら
持っていた役所の人が貸してくれて
携帯の充電もすることができた。
充電して兄に電話してみたら
兄は新宿にいて
電車が動かないから呑んでると言っていた。
肝の据わった兄だ。
区役所の人が毛布を貸してくれたので
毛布にくるまって待合所の椅子に座って
テレビの中継を見ていた。
一面火の海の映像を見て
これが現実なのかと悲しくなった。
「あぁ日本終わったなぁ…」
と思った。
寝たくても眠れなかった。
ずっとニュースを見ていた。
次の日の朝、役所の人が
「停電なおりましたよ。」と知らせてくれた。
帰ろうとしたら
新宿で呑んでいた兄が
車で区役所まで迎えに来てくれた。
兄は夜のうちに家に帰れたようで
酔いが覚めたので
迎えに来てくれた。
ひとりでいるのが不安だったので
いったん家に荷物を取りに帰って
そのまま兄の家にしばらく滞在することにした。
家に帰る時
家の中ぐちゃぐちゃかもしれないなと思っていたが
キャスター付きのスーツケースが
10cmくらい動いていただけだった。
もともと次の日から1週間ほど休みを取っていたから
兄の家でしばらく過ごした。
ひとりでいたら不安でしょうがなかったかも。
あの日の朝の吐き気は
地震の影響とかだったのかな。
この日で本当にたくさんの人の人生が変わってしまった。
ただただ祈ることしかできなかったけれど
この日のおかげで地震に対しての意識って本当に変わった。
これからも忘れないように
ちゃんと糧にして生きていきたい。