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一緒に行く必要はない?連れションで感じる不快感

こんばんは!ryoko🌻です!


私が学生の頃、女子たちは休み時間になると大体かたまり、集団でトイレに行っていた。

連れションというやつだ。

私はこの連れション文化にはかなり抵抗があった。

トイレくらい自分のタイミングで行きたいし、勝手に行けば良いのに…と思っていた。

そして、自分がトイレに行くタイミングで一緒に行こうとついて来られるのもかなり嫌であった。

私は学生の頃、学校という集団生活の時間から少しの間でも解放される瞬間が1人でトイレに行く時だった。

だがしかし、そのトイレタイムは時に女子たちの溜まり場になり悪口大会の場にもなっていた。

私の心休まる空間が聞きたくもない悪口で溢れていた。

学生の頃、この文化には心底うんざりしていた。


こんなことも学生だけかと思いきや、社会人になってからも良い大人がこぞってトイレに行き、上司の悪口大会を開催しているところに居合わせた時は流石に気分が悪くなった。

なぜ人は群れるのか…

群れて人の悪口を言うことでストレス発散をしているのだろうか…

そしてなぜ群れてトイレに行くのか…

永遠の謎である。

自分の中では不快感しかなかった連れション文化。

一昨日、久しぶりに連れションして悪口大会をトイレで開催している現場に遭遇した。

他人が愚痴を言うことを否定はしないけれど、せめてトイレで集団で悪口大会をすることだけは辞めてほしいと心底思った。


今日もあなたのお時間を使ってこのnoteを読んでくださり、ありがとうございました🌻







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ryoko🌻 / 英語を人生の相棒に!!
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