シンプルな選択肢でしかない
例えば自宅の庭をとても愛していたとする。
その庭がゴミだらけになっていたらどう思うだろうか?
悲しい気持ちになったり、怒りが湧いてくるかもしれない。
誰がこんなことをしたのか? 何故そうなったのか? さらには、二度とそうならないように、どう対策したらいいか考えるかもしれない。
その庭を愛していれば愛しているほど、その状況に対しての悲しみや怒りの感情は強くなるだろう。
逆に、庭なんかどうでもいい、どうなろうと知ったこっちゃないと思っていればゴミだらけでも気にならないだろう。
だから愛の反対は無関心なのだ。
この宇宙の中で私たちが今生きることができる唯一の場所、この地球はいわば、私たちみんなが住む家だ。
その家が汚れ放題になっているとき、どうにかしなければと感じるのか、どうでもいいと感じるのか。
自分たちの住む家を愛するのか、無関心でいるのか、それは未来の子供たちの命運を左右する。その分かれ道に今私たちはいるということ。
そしてこの運命の分かれ道はとてもシンプルな問いでしかない。
愛するか、無関心でいるか、
このどちらかでしかないのだから。