子供のやる気を削ぐ親は情熱泥棒かもしれない。
何もかもに手のかかる時期を過ぎ、自我が芽生え、あれこれとやりたいことが出てくる時、親はいかにその子のやる気を応援し手助けすればいいのだろう。
もしかしたら我が息子はサッカーがしたいと言うかもしれない。
もしかしたらピアノがしたいと言うかもしれない。
いざその時親はサッカー教室やピアノ教室、今なんてプログラミング教室も人気みたいだが通わせることにするだろう。
そして親はその子のやる気を持続させ、物にできるように将来『何者』かになれるように情熱を注ぐかもしれない。それは親として子の成長と何かに結びつくことができるようにと思っているだろうが、さて子自身はそんな事を思ってやりたいと言い出したのだろうか。
兄弟がやっているから、友達がやっているから、ちょっと面白そうだから。
大抵それくらいの意気込みで始めることの方が多いんじゃないか。
そこで親がやれ先に将来オリンピック選手になれるようにだとか有名なコンクールで優勝するようにだとか
「練習はしたの!?」
「次は一番を取れるようになろうね!」
「あの子に負けてどうするの!?」
などなど。子のやる気以上の情熱を押し付けがちになりそうだ。
実際私の親は私以上に練習を考えたり、練習用の機械を作ったり。それは親の愛情だったのかもしれないが子にとってはプレッシャーとしてしか反映されない。
そのうち怒られるから練習する。怒られるからスクールに通う。怒られるから…と自分がやりたくて始めたことなのに親の機嫌を取るために練習しているようになってくる。そうなると成績も振るわず、プレッシャーに負け、どんどん自分がダメな人間に思えてしまい自己嫌悪に陥っていく。
当初のやりたい気持ち、期待と希望に満ちたワクワクする気持ち、どんなに辛い練習も負けてたまるかという気持ちは薄れていってしまう。
私の親は子供の時だけでなく大人になってからも何かしたいと思った時、私以上に調べ上げ、私の目標以上の目標を掲げ、全力で応援してくれる。
だから嫌になる。嫌いになる。
もしうまくいったとしても
「ほら、お母さんの言った通りになったでしょ。」
と自分の手柄のように私の手柄を横取りする。私の情熱を自分の情熱かの如く横から奪い、気持ち良くなる。
うまくいかなかった時は
「あなたが努力しないからでしょう。」
と我関せずだ。
我が息子が成長して何かやりたいと言い出した時私は適切な距離感を持って彼のやる気をサポートしたいと思う。
彼の情熱を自分の情熱と勘違いして彼の手柄を横取りしないように、私は母のような情熱泥棒にはならないようにしようと心から誓う今日この頃だ。
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