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あそこまであるこう (完)

「そんな全然悪くないですよ。それにしてもアカネにいるエケベリアを見たときは、あそこに春が来ていると思ったのですけれど」
引っ越してもあんま変わんないのはつらいよなぁ。
「春ですか?そういえば随分来てないですね」
「ミモザさんのところにも、ですか」
確かにスプリングピンクのビルの中にいるはずなのに、さっきから元彼女と温めあっていたときと同じ肌寒さがする。モミザさんはそんな恰好で寒くないのだろうか。
「はい。あ、でもそのうち変わりますよ!きっと!」
ぐっ!とモミザさんはガッツポーズする。
「あ、コンペ一緒にやりません?」
ファイティングポーズで息巻いたかと思うとモミザさんはため息をつき、嘆きだした
「どうにかテストと面接の対策でここまで来たけど、くじけそうで」
「面接ありましたね、なんか変なこと聞いてきた」
「好みのタイプは?とか言ってきましたよね。推し言っちゃった、翡翠さんは?」
「私は彼氏の有無を聞かれたので、正直に言ったら笑われました」
彼氏はいたことないしなぁ。ところがモミザさんはしばらく固まってしまった。
「……あの、男性経験は」
「ないですね」
あ、こっち見ている、ひかれたかも。
「じゃあそれでですかもね」
じゃあ、ってなんだろう。頭がぐるぐるしてかるい立ち眩みがした。あのテストの面接で受からなかったのはなぜ?面接官は、なんで私のことを笑ったのだろう?はい、その答えはなんでしょうか。
「それで、って」
口ごもる私にモミザさんは苦い顔をして話を戻した。
「えっと、ここもずっと冬ですね」
室内温度計は20度を超えず、ずっと私はセーターを脱いでいない。
モミザさんも『来ていない』という春と、あの時アカネで見た春。その違いと家で待っている若菜に春を教えてあげたい気持ちが重なり混じりあう、コンペに向かい勉強しながら毎日見ていたロックスターみたいな気持ち。
「じゃあ春呼びましょうよ。首に縄でもつけてひっぱってきましょう」
と軽口を叩いた。
「ですね!呼びましょう!とりあえずほんとうにコンペ、一緒にやりません?」
おう!喜んで!と叫び、元気になったミモザさんと別れた。
 人口太陽を冬の中で見た短い夏にしたバグはスプリングピンクのエンジニアによって治り、私はそれからも寒空の下をあいかわらず防寒服上下で警備をしている。それでも変わったことがある。
 いくつか調べて、よさそうなアパートを見つけたので、建築関係の知り合いに見てもらい三月からのアパートをアカネの近くに決めたこと。警備のバイト先は、それならばあっちの仕事を回すね、あとまだこっち来られるよね?とそれだけ。
 それから、自治区の公式オフィスで講習を受け、開業というのを冗談ではなく本気で考えだしたこと。もちろんお金なんかない、自分で作ったゲームを売る会社だ。
 みんなの欲しがるものを作るために本を読む、売れるゲームを作れば自分も儲かるし待遇もいいらしいから。というか、売れるゲームならアカネの賞も撮れるし、そしたらまたガラスの扉の向こうにちょっとだけ行ける。
 三月になってもきっと冬は終わらないだろうな、引っ越し先までいつものソニックレイン?なんか飽きた。でも短縮10分で警備の時給よりちょっと高いグリーンラビットはもったいないな。あそこまで何で行こうか若菜。その時ふと地図サイトの『徒歩六時間』の文字が目についた。
 
 スーツやワンピースは持っていないけれど、化粧もしていないけれど。
 いつか誰かになにかを渡せるように、あそこまであるこう。まだ長い冬は明けない。冷たい風の中を風邪ひかないようにダウン来てマフラー巻いて。ときどき休んでも朝出ればきっと夜にはつくだろう。
 スニーカーのままで構わない、あそこまで歩いて。
 私があの青い蕾に触れても怒られなくなるまで。
 「若菜、早く育ってね」
 私はゆっくり歩きだした。北風が強いけれど、アパートの中でロックかけてコードの一行でも書こう。借家は暖房をつけていても寒いのに若菜はプログラムされた夕日を浴びて黄色く輝いている。
若菜は強いなぁ、ずっと芽を出して。
 まるでもう春が来ているみたいだ、と私は笑った。
 
(了)
 

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