差別と区別
以前放送された「ADHD特集」をBlu-rayに録画してくれて遠方より送っていただいたので、遅らばせながら見ていたら「かなわね」が出てきてびっくりした(笑
ここに出てきた方が特性をポジティブに捉えていて、笑顔がとても素敵だった。
もっと企業の(特に役職ついてる方とか管理職の方)にもADHDについて知ってほしいと自分が勤めている会社はもちろん、他の企業向けに研修プログラムを広める会社を設立して動いているそうだ。
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当事者が我慢すればいいことではなく、かといって周りが我慢すればいいことではなく、得意を伸ばして不得意をみんなでフォローし合う。
これは発達障害に限らず、みんながそうなればみんなが伸びていけるはず。
違うことであたらしい発見があったり、学びと捉えたり、許容できる人が増えれば生きにくさは軽減するんじゃないかな。
番組でも言っていたけど、発達障害の人が増えているわけではなく、診断される機会が増えているだけ。
・・・そのうち、(あえて使うけど)健常者の方が少なくなるのは時間の問題だろう。
そうなった時「健常者だからね」と差別の対象が変わるような世の中だとしたら、結局生きにくさは消えないと思う。
弱肉強食のピラミットは崩せないのかもしれないけど、生きやすい世の中にするにはどうすればいいか、考えて努力することはできるはずだ。
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私の好きな曲にこんな歌詞がある。
「何千万もの生物種の中で ただひとり言葉を持つ 何千万もの生物種の中で 誰よりも高い知恵 僕らの名前は人間です
神秘なる心を類まれに手にして 操るつもりが踊らされ 息切れの命はそれでも死ねない 三角の頂点にて虫の息のヒューマン
きっとこいつならば 人を割り当てても 生き抜いてくれると神様は 悩みに抜いた揚句に僕らを選んだ だから 今まで生き延びてきただろう」
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考えよう。
答えはある。