2020年の終わりに
もうすぐ2020年も終わるということで、振り返り。
ここ数年は年の瀬の恒例行事として、その年に書いた日記を読み返している。去年までは、読み返したところで懐かしさもたかが知れていて、読んでいても途中で飽きてしまうぐらいだった一方で、今年の場合は、半年前の出来事すら隔世の感。読み返すのに何時間かかるのか分からない。年末年始に片付けたいあれこれがまだまだ山積みなので、パンドラの箱は開けないでおく(いいのか?)
よくも悪くも、振り返りがいがある一年だった。
1月~2月
12月に地獄の卒論を終えて一息つく間もなく、卒業制作シーズンに突入。数カ月間、卒論関連のPC作業以外ほぼなにもしていなかったので、軽い無気力症候群と腱鞘炎に。愛してやまない某アイドルリズムゲームも1か月ほどログボ勢に成り下がっていたので、今思うとかなり重症。
ただ、卒論期間に余裕がなくて後回しにしていた楽しい予定を詰め込んでいたこともあり、卒制提出が控えているストレスは多少あったものの楽しい時期だった。
舐め腐っていたので、提出直前に同期が徹夜しているのを横目にLVに行ったりもした。一年近く経った今でもありありと思い出せるぐらいには衝撃的で、図面もほったらかしにして深夜2時までに感想記事を書くぐらいの勢いだったのだが、このライブでのとあるパフォーマンスへの感動が、半年後に伏線回収されることになるのを、この時の私はまだ知らない……。
*******
卒制に関しては、少し進める度に分からないことにぶつかっては、3年間一体何を学んできたんだろうと悲しくなり、同期の面々がコンセプトの実現に頭を悩ませている様子を見ては、理想と現実のギャップに苦しめるぐらいには建築への憧れが胸の中にあることを羨ましがる、そんな有様。
卒制期間は、改めて自分にとっての建築学科とは何かを問い直すきっかけとなった。学部4年間で得た一番大きなものは、「自分が学びたかったものは建築の一部であって、建築自体ではなかった」という気づきを得られたことだと思う。
建築は非常に学際的な分野だ。意匠設計のようなデザイン色の強い側面や、構造計算や建築材料、設備といったいわゆる工学的な側面、はたまた歴史考証や文献調査のような、一見すると”文系”学部かなと思われそうな側面まで、本当に様々な分野を含んでいて、たくさんの人が建築に憧れを持つのに相応の理由だと思う。
ただ、自分の場合、建築学科に入ったら学べると思っていたことは、建築学科で教えていることのほんの端っこだった。ただ、このことに本当の意味で気付けたのは研究室に配属された4年生になってからのことだった。2,3年生のときは設計にやる気が出ないことが悩みの種で、建築に興味があるはずなのになぜ頑張れないんだろう、と鬱々としていたことを思い出す。
今思えば、全てに興味がある、興味を持たなければならないと思っていたのが間違いで、実際は意匠設計や構造計算には興味がなく、結局のところ「ファッション建築学生」のうちの一人だった、ということなのだろう。
ファッション建築学生とは?:「建築やってる私、かっこよくない?」状態に陥った建築学生のこと。クリエイティブっぽいことに取り組んでいる(実際にクリエイティブなものを生み出しているのはごく少数)、学内の他学科より服装がオタクっぽくない人が多い(要出典)、大したことやってなくても外からは「建築ってかっこいいですよね!」と言われがち、などが主な原因。関連:ファッション彼氏
今は、紆余曲折を経てファッション建築学生は卒業したので悩むことはあまりないものの、全学科対象インターンの自己紹介で学科を名乗ると「建築やってるんですか、かっこいいですね!」と言われがちで、少し居心地が悪い。
それでも、建築学科に入ったのは正解だった。興味の有無は実際にやってみなければ分からなかったことだし、張りぼてだった建築への憧れをずっと持ち続けずに済んだ。それに、今所属している研究室はとても楽しいし、この学科に入っていなければ出会うこともなかった(建築の一分野ではあるものの、違う方面に寄った研究をしている)。
でも、もし高校生の時、もう少し慎重に自分の興味に対する解像度を上げることができていれば、と思うこともあるのが正直なところ。
卒論で少し建築から離れたところに行って、卒制でまた戻ってきて。そんなことを考えていた1月、2月でした。
(振り返りというには脱線しすぎた、、ここからはさらっといきたい)
3月
卒制が終わって卒業旅行シーズンと思いきや、この時期からコロナの足音が……。行先を変更したり、予定そのものがなくなったりと、いろいろあった。
卒業式も縮小されて、謝恩会も開催されず。自分は卒業するとは言えそのまま進学するので、どちらかというと修士の卒業生を送り出す立場の色が強かったのだが、送別会もなしになんとなくお別れとなってしまったのが悔やまれる。
4月以降もオンラインで話すことはあったものの、学部4年生と修士2年生でなくなってしまった以上、やはりなにかが決定的に違った。いつの間にか、なんとなく、ゆっくりとなにかが変わっていたみたいだった。
変わることは当たり前でなにも悪いことではないけれど、気付かないうちに変わっていくのは物寂しさがある。これから起こる変化のための心の準備をするのが、本当は開かれるはずだった送別会だったのかもしれない。
「関係性に区切りをつけること」は、コロナで失ったものの一つなのだろうか。
4月
修士入学。この時期からさらにコロナ禍の情勢悪化、外に出かけない日々が始まる。例年なら早々から授業が始まる予定が、オンライン化の影響で5月開始になり、空白の1か月に……とはならず、研究テーマ設定のための勉強やら後輩への指導やらで、そこそこ忙しくしていた。
個人的には、授業開始が遅れたおかげで研究に時間を割けたのが非常にラッキーだった(授業と並行して行うのはなかなか厳しいので)。空白の1カ月間を無駄にしないようにするため、仲のいい友達と夜に勉強進捗報告会をしたり。今思うと頑張ってたな。
ただ、オンラインコミュニケーションで行う研究室運営の難しさはひしひしと感じた。「気づいた人がやる」は、オンライン世界では地獄だという学び。テキストベースでもやんわりと仕事をお願いする能力が、今後必須なのかもしれない。
外出自粛自体は、元々引きこもりの自分にとっては苦でなく、研究室のゼミもオンライン化したおかげで朝早い電車に乗る必要もなくなり、むしろ快適なのでは?というぐらい。実家暮らしの引きこもりは買い物で外出することもほとんどないので、放っておくと余裕で1週間外に出ないようなときもあった。引きこもりというより、ただ単に外出のハードルが高すぎるだけな気もする……。
一方で、もともと運動習慣がない私は、外出の機会がないと本当に体を動かすことがなく……。軽く病みそうになったときにさすがにまずいと思い、意識的に散歩したり、家でダンスエクササイズの動画を見ながら運動したり、筋肉体操したりするように。自発的に運動したくなったのは生まれてこの方初めてで、「人間としての””生存本能”””が発動している!?」の感情になった。運動って大事なんだな。
5月~6月
授業が始まり、研究テーマも決まって軌道に乗せる段階になり、かつ就活も意識し始めた時期。慌ただしい。
授業については、広く浅く勉強していた学部時代とは異なり、修士の授業は自分の専門に近いものが多くなる。よって、講義に対して純粋に興味を持って受けられることが多くなったのはよかった。学生時代最後の設計の授業が唯一の敵(指導教員に割と酷評されたけど気にしない)。
ただ、やるべきことが増えすぎると一つ一つに時間を割けなくなって苦しくなる。それぞれは自分がやりたくて選んだことのはずなのに取り組むのがしんどくて、精神的にきつい時期だった。
そういえば、5月の途中からに6月にかけて、30-DAY-SONG-CHALLENGEの投稿もしていた。毎日一つの曲についての文章を書くのは、途方もなく時間のかかる作業だった。でも、印象深い曲に対する考えを言葉として形にするのは、曲を通して自ずと自分自身の考えにも向き合うということで、苦しさもありつつも、それ以上に楽しい時間だった。
実はこのシリーズ、最後の2日間のお題(Day29:子供の頃から覚えている曲、Day30:自分自身をあらわす曲)に相応しい曲が分からず、まだ完結していない。特にDay30については選べる気がしないのだが、選べるぐらいの心の余裕ができたら完結させる予定。
7月~8月
確か、このあたりから修士生は登校が許可されて、週1,2は大学に通うように。クオーター制なので授業が一段落、授業が減って研究に本腰を入れ始めたものの、自分の馬鹿さが嫌になりながら勉強の日々。今更線形代数勉強し直してる修士一年生ってなに?
かつ夏インターンのESに向けた準備。ストレスとの戦い。極度のストレスに晒されると意味もなく吐き気を催すことが分かり、自己理解が深まる。就活に関してはこの時期からずいぶん紆余曲折しているのであった……。
就活始めてから思うところがあったのでAtCoderを始め、5,6回だけ参戦。それ用の勉強もしていなかったこともあり、ABCでも良くてC問題までしか通せず、茶色にすら届かないような雑魚coderだった模様。飽きてすぐにやめてしまったものの、プログラミングや数理的手法そのものにはあまり興味がないことが分かったのは、大きな収穫だった。
あと、身近な人たちが研究やら授業の課題やらで苦しんでいるところに手を差し伸べようとしたものの上手くいかず、少し落ち込むこともあった。
どんなに周りが助けようとしたところで、本人にその手を取る意思がなければ無駄だということ、善意からの行動が必ずしもありがたがられるとは限らないこと、意外とみんな自分のことしか考えてないということ、相手のことをイメージだけで語らず、直接知ろうとすること。反省と、逆の立場になったときの自戒も込めて。
9月
9月最初の土日に放送された「THE IDOLM@STER CINDERELLA GIRLS Live Broadcast 24magic ~シンデレラたちの24時間生放送!~」。要するに、コロナ禍でライブが開催できなくなった代わり(?)に行われた24時間生配信イベント。
それまで、キャラとCVの声優さんは別物だと思って声優さんはあまり意識してこなかったのだが、この配信がきっかけでとあるCVの声優さんの大ファンになり、この日から生活が様変わり。(※1月~2月の伏線回収というのがこれ)
約4か月とまだまだ短いオタク活動期間なものの、これまで知らなかったいろんな感情を知ることができて楽しいなあという感じ(急降下する語彙力)。9月~12月の振り返りは正直これだけで事足りるんだけど、それだとただのオタクnoteになってしまうからここまでにしておく。
青木瑠璃子さん、クッソ美人で可愛くてパフォーマンスが最高でトークが面白くて頭の回転が超絶早くてオタクで口が悪くてゲーマーという、相反する要素を持ち合わせたとにかく最高な方なので、皆さんYouTubeチャンネル見てくださいお願いします(オタク特有の早口)
現実的な話をすると、9月はインターン月間。自分の大学では見かけないタイプの方々と出会えた点は楽しかったものの、志望していた業界があまり楽しいと思えなかったり、想定外のことも多く……。就活の話は、自分の中でまだまとまっていないので、今書くべきではないかなというところ。
10月~11月
10月は初の学会発表(ポスターだけど)。オンライン学会、学会の醍醐味の1割ぐらいしか味わえていないんだろうなという感想。次の学会はオフラインであってほしいし、自分自身ももう少しまともな成果を出せるようにしたい所存。誰か私の代わりに手動かしてくれ、指示はするから……時間が足りないんじゃ……。
この時期の特徴は、学部生の設計の授業のTAをしていたこと。自身が一番苦手としていた授業の一番苦手だった課題の面倒を見るということで、正直気が進まない仕事だったのだが、やってみると意外となんとかなるもので、新たな気づきもあった。
自分がエスキスをしている学部生の中に、かつての自分自身も見える気がして、複雑な気持ちになることもあったりして。
就活関連だと、9月のインターン参加を受けて、また路線変更した業界のインターンに出したり参加したり。(今もか?)
12月
もろもろが一段落して自由な時間は増えたものの、就活はここから本格化、研究も春の学会提出に向けて成果を出さないといけない雰囲気の圧力。どうなるここから……。
後輩の卒論の手伝いもした。研究って露骨に向き不向きあるよなと……再確認した出来事。自分で方針立てずに言いなりで手動かすだけだったら、研究してるとは言えないのです。。。
楽しい話だと、某声優さんの影響でちゃんとした(?)紅茶を買ったり、綺麗な便箋を探しに行ったり、スタバに買い物に行ったり、QOLの高そうな行動を取るようになった。気の紛らわし。
************
こんな感じの2020年。総括すると、コロナ禍で受けた制限は大きかったのは確かな一方で、個人的には多くの新しいことに出会えた一年。悪いことばかりでもなかったというのが正直なところ。そう思える環境にいられることに感謝したいですね……。
今年は珍しくきちんと大掃除も済ませ、年内に一年の振り返りもできている(この記事)。
以上。2020年、いろんな方にお世話になりました。2021年が良い年になりますように。そして、このクッソ長い記事を最後まで読んでくださった方、本当にありがとうございます。
良いお年を!