宿題の思い出
ランドセルの購入。
そんな体験をするのはまだ先の話しだと思っていた。
こんなに成長した子供。
小学生となると、親から離れて過ごす時間がこれまでに比べて増えてくる。
これにどんなことを感じ、成長するのだろう。
小学校入学でいつも思い出すのは、人生で初めて宿題を与えられた日のこと。
宿題をせずに、私は次の日学校へ行こうとする。
すると、母親が宿題はなかったの?と。
私は、あるけどしてない。
焦る母親。なんでやらないの。まだ時間あるから早くやって。
この時私は、なんで宿題するんだろう。なぜなぜ。と思いながらやらされる時間を過ごす。
私には宿題をしない理由があった。
それはドラえもん。
ドラえもんに出てくる主人公ののび太君は、遅刻するし、宿題しないし、テストではいつも悪い点数ばかり。しずかちゃんやできすぎ君はその逆。しずかちゃんたちは特別な人で、主人公であるのび太君が自分に近い人間なんだ、これが普通なんだと認識していた。
だから、私も宿題をしない側の人間、としてしなかった。当然として。
こんな風に、子供は大人からすると思ってもみないことを考えてることがあったり、わかっていないことがある、と自分の体験から感じている。
母親は、兄や姉がたくさんいて、勉強はするものだ、これはこうするものだ、ということが言われなくてもわかる環境にいた。父親もそうだった。私は下に弟はいても上にはいなかった。身近な見本が、テレビだった。
何でこんなことわからないの、という態度で母親はいつも接してきていた。
いや、わからない。しらない。
っていつも思っていた。
だから、子供が成長の節目や、何かを始めてするとき、頑張らないといけないときには、できるだけ説明するようにしている。
当たり前にいろんなことはわかっていない。できないものである。
その躓きをずっと抱えて、私は勉強でいつも躓いた。そして苦痛だった。
社会人になって、世間でよく言う、もっと学生の時に勉強しておけばよかった、というセリフがいつも頭をよぎる。
今なら、こうしとけば、このためには、なんて考えられるけど、子供には自ら先を見越して動き出すことは難しい。今を全力で生きているから。
今を全力で生きる分、その枝葉があることはヒント的にも教えてあげておきたい。
学校に行けばわかる、なんてこともあるだろうけど、そうじゃない場合もある。いろんな選択肢を持てるようにはしてあげたい。
せっかく、まだ始まったばかりの人生。これからたくさんの楽しみを抱えている子供。成功も失敗も自分で感じて学ぶものだけど、その前に、伝えておいた方がいいこともそれぞれにあるよな。