「エレキ珍ポジウム」を思い出して

 2014年に亡くなってしまった方を2018年の秋頃に好きになった。届くことの有り難さ、届けることの大切さを教えて貰った。いや、今も感じてる。去年のライブの後にも手紙を書こうと思ってズルズルそのまま書かなかった。今は気持ちが違う。から、何度紙を丸めてでも私には届けたい思いがある。届くうちに。

 さっきのツイートで言った通り、約4年前に亡くなった方を半年前位に好きになった。ズブズブ ハマって、作品を見たり音楽を聞いたり画像を集めたり……、一気に傾倒した。面白いしかっこいいし大好きになった。
 12月頃だったかな、その方が生前組んでいたユニットがCDを出すと。作り途中でやっと完成した、だから発売記念ライブをやると。時期は2月中旬、受験ラッシュ真っ只中。でも行くしかないと思ったから、すぐにチケットを取った。本命大学受験日2日前のライブのチケット。ソワソワして落ち着かない。CDも集めて、過去のライブの様子や動画も頑張って探して調べて。楽しみなのと、怖いのと。なんの曲をやるかな、なんの話をするかな、自分が調べても出てこなかった秘密の話も聴けたりするのかな、なんて。
 当日とても楽しかった。もう1人のユニットメンバーの方や、生前交流のあったゲストの方から貴重なお話を聴けて、なによりイヤホンから聴いていた歌をライブとしてきけた。画像や映像で見てたライブが目の前にある。MCで少ししんみりする場面もあって、相変わらずの自分はボロボロ泣いて。すごく楽しかった。でも、その人はいなかった。画像で見たホクロも、八重歯も、目にかかる前髪も、ベースを弾く手も足も笑顔もなかった。ただ、下手にマイクスタンドが立っていた。スピーカーからその人の歌声が流れていた。メンバーの人は「そのマイクあいつのだから」ってマイクを使わせなかった。いるのに、いなかった。
 帰りの電車、音楽も聞かずただぼーっとしていた。乗り換えもあんまり覚えてない。最寄までの終電に乗れなくて途中駅まで母に迎えにきてもらった。2月の寒空の下、マフラーを手に握って車を待っていた。到着した車へ歩き出した時、目頭が熱くなった。足早に車に乗りこんで夜遅くに駆り出されて不機嫌な母に「ただいま」って言った。喉が張っていて上手く声が出なかった。そこから家までの15分ずっと泣いていた。ライブは楽しかった。たくさん笑って楽しんで。でも、涙が出た。鼻をすする音と堪えきれない嗚咽が響いていた。家に着いたあともしばらく泣いていた。私は心のどこかで、まだ生きているんじゃないか、居るんじゃないかと思っていた。「あなたの作品が好きです」「勉強の励みになりました」「ありがとうございます」を伝えられるんじゃないかと思っていた。リアルタイムで訃報を受け取れず、居ないってことを実感出来ていなかった。頭ではわかっていたつもりだった。でも全然分かっていなかった。私が泣いたって喚いたって、届かないんだって。あの時こうしていれば……、なんて後悔もできないし、この気持ちの名前も私は知らない。

だから、わかること感じたことをちゃんと受け止めていようと思う。

2019.3.27


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