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家族のこと

わたしの家族は、父、母、10歳上の兄、3歳上の兄。
3人兄弟の末っ子です。
普通といえば普通の家族で、でも普通と少し違ったことは父は再婚で1番上の兄とは異母兄弟でした。
そしてそんな兄は、ASD(自閉スペクトラム症)でした。

幼いころのわたしはやんちゃで、甘えたがりな子どもでした。
負けず嫌いで兄のことを呼び捨てにして、なんでも同じようにしたくて。
3歳上の兄とはよく喧嘩をして、でも勝てなくて泣いていたことを覚えています。

1番上の兄とは年齢が離れていることもあり、ほとんど関わった記憶がありません。
当時のわたしはASDなんてものももちろん知りませんでした。

それでも覚えている記憶があります。

1番上の兄は、ずっと部屋に引きこもっていました。
ほとんど部屋からは出てこず、部屋からは異臭がしていました。
いつからなのか、どうしてそうなったかは分かりません。

でも覚えている兄は、母から名前ではなく馬鹿にしたあだ名で呼ばれており、私も意味も分からずに同じようにそう呼んでいました。

家のなかにずっとおかしなことをして、馬鹿にされているひとがいる。
それが当たり前の毎日でした。

大人になって母から聞いた話では、1番上の兄はASDの特性がきつく
「この子は物ごとの善し悪しも分かっていないから他人だと思って厳しくしないといけない」
そうお医者さんから言われたと言っていました。

学校に呼び出されることも度々。
揉め事も数しれず。
それでも父方の祖父母や親戚はそんな兄の特性に理解はなく、母は継母ということもあり、兄をいじめているものとして見られていました。

唯一味方になるはずの父も、我が子の障害を受け入れることはできず、母が何度祖父母や親戚に説明をしてほしいとお願いしても、そうしてくれることはなく味方はいなかったようです。

きっとみんなしんどかったんだろうなと思います。

そんな父にも嫌気が差してきたのでしょう。
母は、兄にくわえ父の悪口も頻繁に言うようになりました。

父は、アルコールに逃げるようになり、毎日ふらふらになるまでずっと呑んでいました。
母もそんな父と何度も離婚を考え、3歳上の兄に相談していました。

わたしはまだ幼いから。

そう思った母の愛情は当時のわたしには伝わらず
頼られる兄が羨ましい。
私もそうなりたい。
私もお姉ちゃんだから。

母がパートに出ようとした際も、幼いわたしを心配して、家に1人になっても大丈夫か聞かれましたが、寂しい気持ちを隠して「大丈夫」とそう答えました。

兄に勝ちたくて。
母の1番になりたくて。

母の味方をすることで
強がることで
兄と比べてできるアピールをすることで
私は母の1番になれると思っていました。

でも、わたしは体質的にも髪質的にも父似で、兄は母似。

母の口からたびたびでる
兄とは違ってわたしは父に本当によく似ている
その何気ない言葉が本当に嫌で仕方ありませんでした。

ただの体質や髪質。
でも幼いわたしにはそれが理解できなくて

兄は大好きな母に似ていて
わたしは悪口を言われる父や兄と似ている
わたしは嫌われている

そんな風に受け取っては
否定をすることも出来ずに
ただ褒めてほしくて仕方なくて
ときどき誰かに褒められたときには自分は出来る子だと言わんばかりにアピールしていました。

それぞれの思いがすれ違ってばかりいて、
みんなしんどい思いを抱えていた
そんな家族でした。

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