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【書評】マツタケ ~不確定な時代を生きる術~


日曜なので前々から読みたいと思ってた本を読んだ。

原題は 

The Mushroom at the End of the World"

文字通り訳せば、『 世界の果てのマツタケ』だ。

カリフォルニア大学サンタクルス校で文化人類学の教鞭を執るアナ・チン氏が、世界各地の文化人類学者と共同で書き下ろしたものである。

なぜマツタケ?

マツタケは、実はとても面白い主題で、人間の手助けなしには生きていけない種として知られている。しかも生息地域としては、人の手が入り、ある程度汚染された地域を好む。

原爆で荒廃した爆心地に 一番最初に生えたのが 松茸だったという都市伝説もあるらしい。[p.6]

マツタケが日本では超高単価で取引され、消費されることは世界で知られており、現在では、日本だけでなく中国の雲南松屋 アメリカのオレゴン州など 日本以外の地域でも 生産がされている。 こうした地域は 往々にして 一時は栄えた産業が後退し、荒れ果てた地域であることが多く、安定した生計を持たない人たちが お金稼ぎして 松茸を育てていることが多いのだと言う。

本書では、こうしたマツタケを取り囲むユニークな生態系や取引のリサーチを通じて、不確定で不安定な時代を生き抜くヒントを与えてくれる本である。


マツタケと人間

高松のこの峯も狭に笠立てて みち盛りたる秋の香のよさ
ー 読み人知らず 『万葉集』

日本におけるマツタケの消費は、古く万葉集の時代から行われていたことがわかっている。

日本におけるマツタケの最も一般的な宿主樹木はアカマツであるが、そのアカマツは、人の手である程度撹乱された里山に多く生息する。人の手の入っていない広葉樹の林の中では、広葉樹の葉で日光が当たらず、松の生育は妨げられてしまうからだ。

万葉集の時代は貴族の間でだけの食べ物だったマツタケは、江戸時代には裕福な町民層に広がり、戦後は森林伐採で生産地が減ったために、珍しい作物になり、やがて高価な贈答品としてのポジションを獲得するに至った。

これをきっかけに、北半球の各所でマツタケを栽培していた地域は突如スポットライトを浴びるようになる。本書中盤以降では、その中でもアメリカのオレゴン、フィンランド、中国雲南省でリサーチを行い、各地域での人間とマツタケの営みの観察の記録が描かれている。

各地域全く異なるスタンスでマツタケが育てられ、取引され、日本に運ばれており、サプライチェーンに興味があるような人は、この辺りの物語も非常に面白く読めるはず。

最後に

本全体を通じて、人間中心主義を脱することに強く力点が置かれている。生態系を考える上でも、サプライチェーンを考える上でも、人間の存在を特別視せず、相対化することで、人間と人間以外の存在の関係性を的確に捉えようとしていて、その態度はトランジションデザインに似通ったものを感じた。

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さらに、この本の副題は

Possibility of the Life in the Capitalist Ruins
ー 資本主義の瓦礫の中から生まれゆく生の可能性

であり、本の全体を通じて、20世紀は進歩と発展の世紀であり、同時にその進歩史観の危うさ、虚しさが露呈した世紀であったこと、そしてその瓦解したシステム(=資本主義)の周縁でたくましく生きるマツタケと、それを取り巻く人たちの姿が、何度も描かれている。

止まらない山火事、年々激しくなる台風、毎年更新され続ける夏の最高気 温、北陸で南国の魚が捕れたり、そして今はコロナ騒動と、地球に次々と抗いようのない変化が訪れ、既存の制度や価値観に揺らぎが生じ始めた今、一読に値する本なのではないだろうか。




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