
慰安婦は「売春の一種だった」?ー延世大学社会学科リュ前教授の裁判判決について
「学びの自由」について考える - 延世大学での出来事から
皆さん、こんにちは。延世大学大学院で文化人類学を専攻するnabiです。
今回は、私の通う延世大学で起きた、とても考えさせられる出来事についてお話ししたいと思います。
(絶賛中間試験だけどニュースであまりにも流れてくるもんで気になってしまった)
■事件の概要
2019年9月、当時延世大学で教えていた柳錫春(リュ・ソクチュン)教授が、社会学の授業「発展社会学」で行った発言をめぐって裁判になりました。
具体的には、以下の2つの発言が問題となりました:
従軍慰安婦について「売春の一種だった」という発言
韓国の市民団体「挺身隊問題対策協議会」が慰安婦被害者たちに「強制的に連行された」という証言をするよう教育した、という発言
■裁判の結果と教授の発言 最近の控訴審判決では:
授業中の慰安婦に関する発言については「無罪」 理由:大学の講義中の質疑応答での発言で、特定の個人を攻撃する意図がなかったと判断されたため
市民団体への発言については「有罪(罰金200万ウォン)」 理由:団体の名誉を傷つける具体的な発言があったと判断されたため
判決後、法廷を出た柳前教授は記者たちに対して重要な発言をしています。
「大学の講義室で、社会通念とは異なるが歴史的事実に合致する発言をしたことで起訴されるということ自体が、大韓民国がまだ後進社会にあると思う」
さらに、「研究をすると、強制的に連行された人は一人もいなかった」とも述べています。
これに対し、
市民団体側は「国連でも提起されている歴史的事実に対してまで真偽の問題を提起することは、明白な被害者に対する人権侵害だ」と強く反論しています。
■この事件から考えること
この裁判は、大学という場所での「学びの自由」と「発言の責任」について深く考えさせられる事例です。
特に、柳教授の「大学の講義室で、社会通念とは異なるが歴史的事実に合致する発言をしたことで起訴されるということ自体が、大韓民国がまだ後進社会にあると思う」という発言は、私たちに重要な問いを投げかけています。
まず、大学という場所の持つ意味について考えさせられました。
大学は本来、既存の「社会通念」に疑問を投げかけ、新しい視点や解釈を自由に議論できる場所であるはずです。
時には、社会で一般的に受け入れられている考えとは異なる見解が提示されることもあるでしょう。それこそが、大学での学びの本質的な部分なのかもしれません。
しかし同時に、その「自由」には大きな責任が伴うことも事実です。特に歴史的な問題を扱う際には、その発言が社会や個人に与える影響を慎重に考える必要があります。「研究による事実」を追求することと、その事実をどのように社会に発信するかは、また別の問題かもしれません。
また、柳教授の「後進社会」という指摘も、私たちに重要な問いを投げかけています。成熟した社会とは、異なる意見や解釈を受け入れ、建設的な議論ができる社会なのでしょうか。それとも、特定の歴史解釈については一定の配慮や制限が必要なのでしょうか。
この事件は、結果として「講義での一般的な発言」と「特定団体への具体的な批判」という線引きがなされましたが、これは完全な解答というよりも、現時点での一つの折衷案なのかもしれません。
私たち学生にとって、この事件は単なる一つの裁判事例を超えて、以下のような本質的な問いを投げかけているように感じます。
大学における「学問の自由」とは何か
研究者は「社会通念」とどのように向き合うべきか
歴史研究において「事実の追求」と「社会的影響」のバランスをどう取るべきか
「成熟した社会」とは何か
これらの問いに、簡単な答えは見つからないかもしれません。
しかし、これから研究者を目指す者として、常にこれらの問題意識を持ち続けることは重要だと感じています。
そして何より、このような難しい問題について、開かれた対話を続けていける社会であることが重要なのではないか、とも思います。
※この記事は、一学生として感じたことを書いたものです。特定の立場や意見を支持するものではありません。