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ものすごく不毛な自分がつらい話。

つらい、つらい、つらい。

何がって、
やってしまった過ちを誰にも言えない自分の心の弱さがとてもつらい。

それは「つらい」と言ってしまっていいものか。
自分が弱いだけなのに、人に「ごめんなさい」と正直に言えないだけなのに・・・
それは逃げているだけだと自分でもわかっている。
逃げて、逃げて、何が悪い?
いや悪いよね、逃げてることをわかっていながら、やっていることが。

実際にその過ちは、自分にとっては大事だけど、他人にとっては大したことでもないかもしれない。
言ってしまった方が楽になることだってあるのに・・・
だけど、言えない。
わたしには人からの信用がない、とわたしが自分で思っている。
だけなのかもしれないし、実際本当に信用がないのかもしれない。
人の言葉が信じれないのは、自分の行動が信じられないからだ。

時間が守れない。
約束が守れない。
すぐに忘れる。
人の気持ちを理解できない。

なんでできないって、自分が原因っていうのはわかっている。
なぜか、できないのだ。
どうして、みんなができるのかわからない。
頑張ってやってみた時に、みんなに褒められても、なぜか嬉しく思わない。
みんなはできたことに、安心するし、人に迷惑をかけずに済んだと思いそうだ。
そういう安堵感が自分に生まれないのが不安になり、自分の心がわからなくなる。
そういう時は、自分という人間がとてもダメなものだと、無意識に思い込んで、劣等感でいっぱいになり、その場から逃げたくなるのだ。

人はみな、冗談を言い合う。
信頼しているからこそ、言える冗談。
その冗談がわからない。
バカにしているかもしれない、となんでも言葉を本気で受け止め過ぎてしまう。
本当にそう思ってなくても、相手をバカにしているような冗談で笑える理由がわからない。
自分が傷ついてるのに、笑われる理由がわからない。
理解できない。
だからこそ、自分が冗談を言えない。
心のゆとりがないからだろうか?
いや、違う。
冗談でもちょっとひどいことを言って、相手が傷つくのが嫌だからだ。
そういうことを言う自分に、傷つきたくないからだ。

わたしは、どういう人間なんだろか。
自分がわからない。
もうずっと、人に理解されない人生だったから。
人に好かれたいと思った。
だから、他人を理解しようと、真似してみたりして、自分なりに頑張った時もある。
だけど、なんの感情も、なんの思い入れも、今残っていない。
今あるのは、なんだかもったいない時間を過ごしてしまったかのような、後悔のような念だ。

諦められる、見放される、ひとりぼっちになる。
そんな自分になりたくないのに、素の自分でいるとそうなっていく。
心が暗くなっていく。
もうそういう人間なんだ、と割り切ってしまった方が案の定楽になれるんじゃないかと思った時期もあった。

ダメな自分を受け入れたい。
そういう自分で社会と向き合いたい。
そういう自分でいられる場所を見つけたい。
ダメじゃない、と誰かに言ってもらいたい。

そうか、安心したいだけなんだ。
不安に思っていることを誰かに気づいて欲しいだけなんだ。
だた、それだけで心が満たされる。

安心したい。

過ちを言って、安心したいのか。
違う。
まだまだ甘いけど、誰かに「大丈夫、言っても大丈夫だから」と背中を押されて安心してから、「ごめんなさい」って言いたいんです。
「ごめんなさい」までのプロセスがめんどくさくてごめんなさい。
悪いってわかってる。
でも、今まで生きてきた長い年月の中での、コミュニケーションがうまくできないトラウマが、どうしても自分で自分の背中を押せない。
素直に謝れない。
そうしている間に、どうにか自分の罪を軽くすることを考えてしまっている。
逃げたい。
いや、むしろ過ちに気づきたくなかった。
なんで気づいちゃったんだと後悔している。
いや、気づいたんなら、これ以上事態が悪くならないように言うべきだろう。
絶対にバレる。
こっそりじゃなく、公にバレる。
バレるから言うのか?
なんかそれってすごく嫌なやつな気がする。
そこまでたどり着いた自分に、より言いたくなくなる。

もう訳わかんない。
楽になる答え、わかってるはずなのに。
ただただ遠回りしているだけ。
そうやって、物事を先延ばしにして、ずっと生きていくんだろうな。

わたしはそういう人間なのだ。
グズグズ、グダグダしているから、何事も守れないのだ。
自分の気持ちしか見えていないから、相手の気持ちが見えないのか。
あぁ、そうか。
ごめん、とさっと言えればここまで来ることもなかったのか。

とまぁ、どうどう巡っているだけで、特に何も進展はしていない。
あぁ、早く楽になりたい。