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あれもこれも
こんにちは。そらです。
今日は欲望の話を。
自己論について少し勉強しています。
前にかいた、自分ってなんだろうって考えたときにはすでに社会に取り込まれている。
"私"は他者に依存している
という話とつながってます。
この延長で、欲望も内的なものとして湧き上がってくるものではなく、人の模倣によって生み出されるものだそう。
ないものねだりや、人のものを欲しがる
ということを考えてみればよくわかることです。
模倣によって生み出される欲望
だから、私、対象、媒介者の三者によって欲望が生み出されるのです。
私は媒介者を通して欲望を知り、その欲望を対象に向ける
そのため、欲望をかきたてるという立場にある媒介者
そこがなくなった途端、欲望が消えてしまうのですね
俗な喩えをすると(まあいつも俗な話しかしてないですが…)
三角関係にある男女、様々なベクトルがあるでしょうが、何かのベクトルが互いに成立したとき、ある欲望は消えてしまう、これまで憎さや悲しみを燃やしていた愛の炎が、突然消えてしまうわけです。
略奪愛が結ばれたとしてもうまくいかないというように語る、一種の人々の根拠にもなりうるでしょう。
だから、誰かが私に向けている欲望には
またほかの誰かの存在があってこそなのです。
むやみにじぶんのまわりを整理してしまうと、
突然興味を失ってしまう人がいるかもしれませんね。
これでも怯えているのです。