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戦闘曲が「となりのトトロ」だなんて狙いすぎているようでこちとら大真面目でして

在宅ワークがはじまってから、Amazon Prime musicで歌詞のないBGMを流すのにはまっている。

3000円くらいのスピーカーから流れるBGMは私の部屋には十分すぎる音響で、会社にいるときのイヤホンを耳につっこんでラジオを聞いているより、幾分か優雅な仕事をしている気分になる。

朝に聴きたい洋楽、仕事中のジャズとかも好きだけど、オルゴールが一番のお気に入り。

J-POPや童謡のメドレーが流れてくるのだけど、ある時ジブリメドレーの中から『となりのトトロ』が流れてきた。


私はなぜかこのとき、

絶対にこの音楽が終わるまでに終わらせるんだ…!(キリのいいところ)


と、ものすごい後ろから追われている感覚に陥った。


どんぐりを拾ったり、お弁当をもって小さな冒険をしたり、みたことのない虫をみつけたり、出会ったことのない友達と巡り合ったり。

そんなシーンを思い描くことが多いであろう、トトロの音楽が持つ力。


そんな不思議な冒険の入り口を塞いだのは

私がせっせと通った小学校のせいでしかない。
どうしてくれるんだ。


・・・


小学生の頃、冬になるとやってくるなわとび月間。

2000年代前半の教育はいまと比べると冗談でしょ、と笑われそうなくらい古くて、

水筒を持っていくのは夏しかダメだったし、
寒い日に体操服の上からパーカーを羽織るのも先生の許可が必要で、
長ズボンははかせてもらえなかった。

太腿までしかないちんちくりんな体操服ズボンに半袖時々パーカー。
そんな姿で冬空のもとへ私たちはなわとびを片手に校庭へ飛び出し、

冷気で冷え固まり鞭と化したなわとびに恐れていたのか果敢に挑んでいたのかいまは知る由もないけれど、とにかく跳んでいたことだけは体が覚えている。


なぜなわとびは冬なのか!


夏になわとびは茹でられたかのようにやわらかいのに、なぜ冬なのか!
そんなことを毎年思う小学生だった。

追伸:この記事の宣伝用にいま(5月中旬)外でなわとびをしたら体が燃えるように暑くなったので、なぜ冬にやっていたのか大人として理解しました。

でも、文句を心に秘めつつ私だってまわりと変わらず風の子だったから、
技の習得に毎冬勤しんでいた、ばかみたいに。


そんな個人技はもちろん、
私の小学校では大縄大会なるものが毎年催されていた。

クラス対抗で、とにかく回数を競うもの。そして全員参加。
縄の中へ飛び込むのが怖くたって、先生から背中をどんどん押されるから、泣きながら跳んでいる子もいたほど、先生たちもガチモードだった(それで全員が跳べるようになるから、先生も楽しいだろうなぁ)。

そして八の字で永遠に跳ぶこの競技で、切り替えのタイミングの先頭はいつでも、どこのクラスだってクラスで1番のモテ男。足の速い子(=運動が得意な子)がモテるのは小学生にとって必然的な法則だから。


確か、2週間くらいだったろうか。

毎日の20分休み(私の地域では行間休みといったけれど)に全学年、全クラスが校庭に集いとにかく練習をしていた。学校での一大行事なのがおわかりいただけるだろうか。


さぁ跳ぶぞ。


縄を回す人が左右に振り、勢いと息を整えて、生徒たちはTVでみた陸上選手のように軽い跳躍をする。

校内放送で「よーい、スタート!」という声が響く。

スタートの後に続く音楽が、
おまたせしました「となりのトトロ」です。


低学年はたぶん、トトロの音楽に合わせたテンポで跳ぶくらい。
でも学年が上がっていくごとに輪はちいさくなり、ペースが上がる。

サビの「となりのとっとろ〜」の間で10回くらい跳ぶんじゃないだろうか、小学生の鍛錬の末の成長はすさまじいから。


クラスメイト達と大きな声で数を数えてるけど、校内放送で流れるトトロのボリュームも容赦ない。


1回でも多く、さぁゆけ!まだいける!と鼓舞しあっている最高潮の3分あたりで半音あがるんだ、もう気持ちがたかぶるこの震えを誰と共有できようか。


こんな思い出話をほっこり書くためにいまトトロを流しているけど、
1文字でも多くタイプしてやる!と煽ってくるこの音楽はなんなんだ。


締め切りに追われているときに聞いたら良さそうなロッキーのテーマとかそういうレベルじゃない。


あの寒空の下でほっぺたを真っ赤にさせて、蒸気もでてきそうな熱気をみんながまとったあの時間をつくったトトロは、社会人になって、仕事をするようになったいまも

まだいける、もうひとふんばり。

そうやって私の負けず嫌いをくすぐってくるんだ。

トトロめ。6年間の音楽での洗脳は成功だ。
私はまだまだ跳んでみせるよ。


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