歌のちから

音楽はすごい。

TikTokでも思うことなのだけれど、写真だけをみていても「良い写真」でおわる。でも、音楽をつけるだけで「物語のある写真」になると感じる。

いま、この記事を書いている時にもイヤホンからは音楽が流れているのだが、流れてくる一曲一曲にどういう思いを馳せてしまうのかを書き綴りたいほどに、元気をもらえる。

この歌を聴くと、あの人に会いたくなる。この歌を聴くと、思い出す旅がある。この歌を聴くと、あの夏を思い出す。この曲を聴くと、受験を思い出す。この歌を聴くと、未来への希望が湧いてくる。この歌を聴くと。

ドライブで一緒に歌った歌は忘れないし、ひとり旅の帰りの飛行機で聴いた音楽も忘れないし、卒業式で歌った歌も宝物だ。音楽は記憶の、思い出の、鍵のような役割をしている気がしてきた。

昨日一緒に遊んでいた友達とは、この前一緒にいったライブで一緒に飛び跳ねた音楽がシャッフル再生でうまいこと車内に流れた。あぁ、こうやってまた忘れられない音楽がひとつうまれていくんだ。「たのC超えて、たのDやんかいな」、50歳60歳になっても忘れられない歌が、応援歌ばかりじゃなくていい。失恋ソングでなくてもいい。

音楽が好きだ。音楽に背中を押してもらった回数など数えようにも数えられない。いつもいつも、その時の私に、私の為の歌なのではないかという歌が巡ってくる。

去年だったか一昨年だったか、地元の同級生と居酒屋に設けられたカラオケで流れる歌流れる歌がすべて懐かしい音楽で、聴くのは久しぶりなのにもかかわらずみんなが歌えたことがたのしかったなぁ。私たちは若い、でも確実に年を重ねていて、時代はこうやって築かれていくのだなとも知り始めている。夏が来ると聞きたくなる歌、「真っ赤なブルーだ」って私と同年代の人はみんな叫べると思うけど、この歌詞の意味はあんまりよくわかんないけど、あの歌最高だよねっていうことに変わりはないから、初めの話にもどる。音楽もきっと、みんなの頭の中にある思い出と寄り添うことで完成するのではないかと。写真に音楽がスパイスになるように、音楽も人の記憶とセットにされることでひとつの作品になることもあるのだなぁ、きっと。

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