日本中小企業の悪い渦の中にいたことを認めた日
4月に、社会人4年目をスタートさせた。そのタイミングで昇給したのだが、まったくもって納得のできない額だったのがことのはじまり。
自分の仕事に責任をもってやっていた。新しいことにも積極的に挑戦した。会社の部活を運営した。自分を過大評価する自信はない。それでも、お金の面で認められたいと思うだけには頑張ってきた自信があった。辞めるまで、あと約2週間。「わたしの3年間って、なんだったんですかね」そう問うた時に、理由は説明されたが最終的に謝られた。もう一度う言う、謝られた。
「いまさらの話になりますけど、わたしは頑張り方を間違えていたんですかね?」話をしていたら、視界がぼやけて思わずハンカチを取り出した。社会人になっても尚、しかも上司の前で泣くことを恥ずかしいと思う。でも、悔し涙を抑えることは不可能だった。お金はいらないから休みが欲しい、ずっとそう思っていたはずだった。安定したお給料に欲がでたのか。いや違う。会社勤めで、いくら飲み会の席で褒められようと、会社が社員を認めるという形は「お金」だということを、社会に出た3年で学んだに過ぎない。
確かに、不遇の代ではあった。様々な改正がちょうど入り、俗にいう「損」を被る代。タイミングが悪かった、仕方がない、というまわりの言葉で「そうなのか…」と渋々反論のぐっと飲みこんだ1年目の終わり。それでもやっぱり納得できないと話しをした2年目。それでも何も変わらなかった3年目の終わりに、私は会社に辞めますといっていた。
辞める、と決めたことでつかんだチャンスもあるし、これから始まることもあるから、辞めるという選択は我ながら最高だったと思う。でも、最後の面談で「なにか言い残したことはない?」と聞かれたものだから、雑談程度の気持ちで話を始めたら、これがとまらなかった。とんだサプライズ。
「もっと早くにいってくれればもう少しどうにかできたのに」「気づいてあげられなくてごめん」「そういう話はしずらかった?」「もしいまXX万円だったら今は違った?」
今更話をたくさんした。思いのほか、しっかりと自分の気持ちを話せた。話せたからこそ、やっぱり認めてもらいたかったという気持ちがこみあげてきて涙がとまらない。大学を卒業させてもらって、いまこれだけ稼げるようになったよと両親に堂々と言える額面が欲しかった。「あんたならもう少し」親の期待が嬉しいのと痛いのと、ああ思い出してまた涙。「でも評価はXXだったよ」それは「良い」とされる評価なのだ。じゃぁ、なんで。ああもうこのループから抜けることはできないのだろう。
喉の奥が熱くなりながらも話して、話したところで何も変わるものはないのだけれど、「言いたいこと」をぐっとこらえてきれいごとだけを並べて退職をするつもりだった。でも、「どうせ辞めるんだし」という気持ちもうずいていた。その気持ちに素直に従ってぶちまけたら、結構すっきりしてしまった。嘆いたところで変わらない、という諦めも、この場では認めておきたいところだけれども。
「そういう話はしずらかった?」という問いに対してはイエスだ。過去に戻ってもこの話はできなかったと思う。でも、話さなければいけないことだったのだと私は学ぶことができたし、次に勤める会社でもやましいことなんかないと、しっかり話そうと、体を張って経験できたと今は捉えられている。
タダでなんか会社を辞めてやらない。3年間と言う時間を取り戻すことはできないけれど、この会社に勤めたことで出会えた人の中には私の人生に欠かせない存在となった人もいるし、なにより新卒で入った会社を嫌いにはなりたくない。欧米からみた日本人の企業での悪い働き方、をしていたと辞める今なら素直に認められる。まさに日本企業の渦中にいたのだ。私はそれでいい、とは思わないから、人生の大半を過ごす働く場所の居心地を求めて、次のステップへのエネルギーにしてやるんだ。
ああ、まったく、目がはれぼったい。