「五十センチの神様」(短編小説)
ある愚かで怠け者の男が、だらりだらりと田んぼの畦道を歩いていた。
すると道端の土が少し、盛り上がっているのに気が付いた。
「ちょっと待て」
声が聞こえ、男は立ち止まった。
「何だ?誰だ?」
「わしじゃ」
そう言いながら地面から顔を出したのは、長い髭を蓄えた、小さな神様だった。
身長五十センチの神様は、やっとのことで穴から這い出してきた。てっぺんは河童のようにハゲているが、真っ白な髭は、くるぶしまで伸びている。
長い杖まで持っている外見は、正に絵に描いたような「神様」だった。
「神様って、天にいるものだと思っていたがな」
男は、ボサボサ頭を掻きながら言った。
「ふむ。そうと決まっておるわけではない」
神様は小さな手で、服や髭に付いた土を払い落としながら、もったいぶった調子で言った。
「さ、お前の願い事は、何だ?」
「あっ、三つの願い事ですか?よく昔話に出てくるような」
「いや、違う。何でも、幾つでもじゃ」
「そんな上手い話、大丈夫かなあ」
男は、神様を胡散臭そうに眺めた。
「では、別の若者のところへ行こう」
「わあ、すみません!待って下さい…えっと、じゃあまず、お腹がすいたので、なんか下さい」
「何じゃその願いは。まあ良い。えいっ!」
神様は杖をひと振りした。
すると…何も起こらなかった。
「なんだ、やっぱりインチキか」
「インチキなどではない。もう叶っておる」
「だって、食べ物出てきてないですよ」
「ふむ。そのうち全て分かるじゃろう。次!」
「あ…と、じゃあ、お金下さい。あっ、たくさん」
「ふむ。えいっ!」
「何も変わらないけど、ほんとに神様なんですか?」
「もう、良い」
「あっ、待って!」
神様はぴょんと跳び、元来た穴の中へ消えていった。男は慌てて穴の中を覗き込んだが、神様はもうそこにはいなかった。
今の出来事は夢か幻か、などと考えながら、男は再び、だらりだらりと歩き出した。
痩せて、どんよりとした目のその男は、二十歳にもなるのに夢もやる気もなく、その日暮らしの生活を送っていた。
さて、男が家に帰ってみると…というか、帰ってみても、住んでいたアパートは消え失せていたのだが。
そして、その代わりにパリッと建っていたのは、玄関が遠くて見えないほどの豪邸だった。
「俺のアパート…」
「お帰りなさいませ」
何十人もいようかと思われる召し使い達が、男を出迎えた。
男は面喰いながら車に乗せられ、玄関まで連れて行かれた。
「旦那様。お食事のご用意が出来ております」
こうして男は、神様はホンモノだと分かったのだった。
*
それから一週間ほどが経った。
どうやら男は、何もしなくても金がどんどん入ってくる立場なようだった。
「なんだ、それならもっとたくさん、願えば良かったな」
男は豪華な書斎で、ひとりつぶやいた。
「それならもっと、願いなさい」
聞いたような声がして、窓の隙間から入ってきたのは…あの五十センチの神様だった。
男はニヤニヤしながら、出迎えた。
「インチキだなんて、ごめんなさい。あなたは素晴らしい神様ですねぇ」
「ふむ。さ、早く願いなさい」
神様は長い髭をひねりながら言った。
「えっと、じゃあ…美しい妻が欲しいです」
「えいっ!」
「あと、不老不死にして下さい」
「えいっ!」
「それから…」
こんな調子で、男は数々の願いを叶えてもらった。
「あとは…もう思い浮かびません」
「ふむ。ではもう良いの」
神様は窓によじのぼり、隙間から再び出て行ってしまった。
こうして何の不自由も無く、男は自堕落な生活を送るようになったのだった。
***
一ヶ月過ぎ、一年過ぎ、三年過ぎ…そして、十年が過ぎた。
怠け者の男はほとんど屋敷から出ず、美しいが退屈な妻と、退屈な生活を送っていた。
男には、食べること以外の楽しみは、すでに無くなっていた。
「ああ、つまらない。こんなに金があっても、やっぱりつまらない。何故だろう?」
男は広大な庭の大きな池で、ぼんやり鯉に餌をやりながら考えた。
「あの神様、また来てくれないかな」
橋の欄干にもたれ、大きなあくびを一つ。すると…
「そろそろ、新しい願い事が出来た頃じゃろ?」
懐かしい声がして、池の中から、あの小さな神様の顔が現れた。
男は大喜びで、神様を池から引っ張り上げた。
五十センチの神様は、びしょぬれの服を絞りながら言った。
「さ、願いなさい」
「いやあ、今回は一つしか思い浮かばないんです」
「ほう。欲はもう尽きたか。では、何じゃね?」
「こんなに望みが叶っているのに、何故、毎日死にそうなほどつまらないのか、知りたいです」
「つまりは、賢くなりたいと申すか?」
「そんな感じで」
「ふむ。本当にそれで良いな」
「はい」
「では…えいっ!」
神様は杖をぶんと振った。男は一瞬ぐらっと頭が揺れた気がし、ギュッと目を閉じた。
そして目を開けて見ると…
なんだ、この悪趣味な庭は!屋敷は!ゴテゴテして、金ばかり掛かっているようだ。
男はこの十年間の生活を思い浮かべ、身震いした。
「俺は、何もしていない。俺の金じゃない。つまらなかった訳だ。当たり前だ!」
男は広大な庭で、空に向かって叫んだ。
「そう、それじゃそれじゃ。大正解!」
神様は嬉しそうにハゲ頭をペチャリと叩き、杖をひと振りした。
パン!
大きな音と共に、神様は消え失せた。
同時に、豪邸も、妻も、召使いも、何もかもが一瞬にして、消えて無くなっていた。
そして、賢く、働き者の若い男が、ボロボロのアパートの前に一人、残されたのだった。
(おわり)