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2023年6月(No.38)「それ、実際に見て言ってる?」
高校卒業後、引っ越しバイトを半年だけ横浜でやっていたことがある。自慢ではないが、その頃の僕はムキムキだった。もちろん、怒鳴られ、叱られ、泣きそうになりながら、重たい荷物を運ぶ作業は、それはそれはキツイものだった。真夏の3階建てアパートの階段の往復は堪えるものがあった。
それなのに、平気な顔をして、大きなエアコンの室外機を右肩に乗せながら走る先輩がいた。思わず、「先輩、大丈夫ですか?」と声をかけてしまい、「うるせ!お前の方が心配だわ」と叱られる。
朝の6:00から始まったバイトは、夜の22:00頃に終わることは結構あった。明日も早いわけだから、早々に帰ろうとすると、「おい、お前。今からフットサル行くぞ!」と言われ、「勘弁してください」と泣きそうな顔をすると、「あ、そう」と言われて、僕は逃げるように帰宅した。
彼らは明日も6:00から仕事を始めようとしている。それなのに、今からフットサルとは、化け物たちだと正直思ってしまった。もう二度と、あそこには行かない。そう固く誓っている。
そんな仕事場で、印象に残る体験をする。それは、お昼休みのこと。トラックの助手席でおにぎりを食べていると、運転席の先輩が声をかけてきた。「おい、お前。”Perfume”好きか?」と。
何を隠そう僕は、テレビやアイドルに昔からハマらない人間なもので、当時、流行り出した”Perfume”も名前くらいしか聞いたことがなかった。だから、先輩にこんなふうに返事をした。
「僕、昔からそういうの見ないので、あんま好きじゃないですね。」今思えば、隙のある言葉。先輩はこう切り返して来たのだ。
「それ、実際に見て言ってる? 一度も見たことないのに、嫌いになるっておかしいよね。」
僕は、踏んではいけない地雷を踏んでしまったようだ。先輩の好きを素気なく否定したものだから、その後のお昼休みは、”Perfume”がどれほど可愛いのか、先輩の力説を聞く時間となったのであった。
その日の帰り道、なぜか「それ、実際に見て言ってる?」というフレーズが心の中に響いていた。それは、聖書を真面目に読んでいないのに、「ほんと神様はひどい」とか、「キリスト教って本当に信じていていいのかな」と思い、一人で迷っていた自分に一石を投じるものであったからだ。
「僕は、本当に聖書を読んだ上で、神様や教会を考えていたかな? 自分の主観や思い込みが自分を揺さぶっていたかもしれない。」
そして、こう思った。「いろいろ判断を下すのは、ちゃんと知ってからにしよう。知らないのに、判断を下しているとしたら、それは軽率な判断だと思う。これからは、実際に見てから判断したい。」
当時、神様を疑っていた僕は、久しぶりに聖書を読み出した。もちろん、すぐに答えは出るものではなかった。けれど、神様がご自身を教えてくださる聖書を読むということを、その後、大事にし始めた瞬間だった。見ずにではなく、見て知った上で決めよう。そう、自分に語り、聖書と向き合うようになってから、僕の人生は動き出した。