「だから、生きる。」
人生の夏休み
入院中、たくさん時間がある。昔から好きだった本を心ゆくまで読めるというのは、もはやご褒美でしかない!私の人生の夏休みは始まったばかりだ。
ここに、読書感想文がてら、読んだ本のことなど、色々と書き留めておこうと思う。その、第一弾というところです。
「だから、生きる」つんく♂
著者について
大学生の頃に流行っていたシャ乱Qボーカルのつんく♂さんの自叙伝。
シャ乱Qで一世を風靡したかと思えば、モーニング娘。のプロデューサーとして名を馳せ。これぞ成功者!スターダムを駆け上がったと言う印象のつんく♂。モーニング娘。から派生して色んな可愛らしいユニットが出来る頃、私は社会人になりたてで、テレビや音楽から離れていたが。ネットニュースで、どうやら病気らしい?とか。え?声が出なくなったの?!と信じられないニュースが目の前を流れ、信じられないままでいた。そして数年後。近畿大学の入学式で声が出なくなったつんく♂が感動の祝辞を述べた。というyoutube動画がSNSで拡散され。私もそれを見て胸が熱くなったのを覚えている。
きっかけ
今回、病院の図書室でこの本に目が止まったのは、SNSで流れてきた記事で、宇多田ヒカルさんが
という文章がひどく胸に響いたからだ。
人は願望が叶わないことでストレスを感じてイライラしたり、意地悪になったり。体と精神を壊すことだってある。けれど、それをとことん味わった果ての果てに出てくる、諦め、完全降伏という名の受容。それが笑っちゃうような明るさに変容したり。他人を大きく包み込める優しさになることもある。そんなことを思っていた時に目に留まった本だった。
歌うことは歌手の命。ミュージシャンとしてスターダムを駆け上がっていた彼が、その大切な声を失うことで得たものは何だったのか。それを垣間見たくて、本を手に取った。
だから、生きる
大阪のストリートミュージシャンから上京し、一躍、売れっ子になった彼は、ご多分に漏れず、寝る間を惜しんで仕事をしていた。体調を整えるために毎日たくさんのサプリを摂り、体調が悪くなれば、元気になる注射を打ったり、さらに薬を飲んで、謂わば騙し騙しやり過ごしていた。
それが、30代を折り返したあたりから、帯状疱疹が出るなど、このままではいけないとカラダのサインを聞かなければいけなくなった。その頃ちょうど、運命を感じた奥さんと出会い結婚。子供も生まれて、自分のライフスタイルを見直す時期となった。
今までのサプリや薬を一切辞め、調子は戻ったものの、喉への違和感。自分の直感では、おかしい…と思うが主治医は大丈夫の一点張り。自分も仕事を休むのは難しいし…と、後回しにしていたら。やはり癌が発覚。一時、寛解と思われたが、時を待たずして、また再発。今度は転移の可能性もあり声帯全摘することとなった。
ドラマよりもドラマチックな出来事が本当にたくさんあり。その時々の彼の心の動きが鮮明に描写されていた。何度、涙を拭ったことがわからない。
そんな彼が突き詰めて伝えてくれたことは、
ということだった。
歌手が声を失うということは、今までの自分のアイデンティティやプライドが崩れてしまう怖しい出来事だ。だがその中で彼は本当に大切なものを見つけた。それは、愛する家族のために生きることだった。
本当に大切なもの
断捨離という整理術が流行って久しい。自分にとって不要なものを手放していくことで、どんどんシンプルになり、大切なものだけが残っていく。物理的なものだけでなく、人間関係や、趣味、仕事なども整理していくと、さらに明確になる。というものだ。
断捨離は、自分で取捨選択するものだが。自分の意思とは関係なく、大切なものすら手放さざるを得ない状況が訪れると。なぜ自分が?何が悪かったんだ?!と自問自答が続く。だがその苦悩の奥にこそ、真理ともいえる本当に大切なものが見つかる。
神の手
私は山の中に住んでいる。夜中に鹿が走り回り、日中は猿が胡瓜をかじりにくるようなところだ。そんな所だから当然、虫も多い。私は基本的にキャッチ・アンド・リリース派だ。なぜなら、それは境界線一つの問題だからだ。
山には私が住む前から、鹿や猿などの動物が生息していて。たまたま人間が家を建てたから、ここからこっちに入ってはダメということになってるが。動物たちにとれば「なんでやねん。知らんがな」である。現に、夜、車を走らせると、高頻度で鹿の家族に出会うが。道の真ん中にいてもどかない。なんならじーっと睨んでくる。下手にライトで照らすと、驚いてこちらに体当たりすることもあるので。(車がへこんでも保険はおりないので)待つしかない。私たちは後から入ってきた身であり。承諾なしで勝手に陣地を決めただけ。むしろ、この陣地以外は自然界のもので。私の方が間借りをしている。という感覚だ。
なので、虫が部屋の中に入っても。基本的に殺さず、そっと捕まえて窓の外に出す。なぜ『基本的に』かというと。昔、アリをキャッチ・アンド・リリースしていたら、道がついてしまい部屋中にアリの行列が出来て鳥肌の立つ思いをしたので。アリは例外だ。
どの虫も捕まえようとするとジタバタと逃げ回る。でも、私にすれば、狭い部屋の中より、餌や寝所となる草花の多い屋外の方がよっぽど快適だろう。という善意の気持で手を伸ばしている。
私はこれを『神の手』と名付けている。
自分では良いように思えても、神様にはその先が見えていて。俯瞰して見れば、今に留まるより、次のステージに行くことが最善で最適なのだ。当事者はそれが理解できず、もがく。でも、もがけばもがく程、自分の羽根や足を落とし痛い思いをする。身を委ねるのが一番スムーズに移行できるのだ。信じて欲しい。悪いようにしないから。きっと、神様もそんな気持ちで、たまに私たちをヒョイと掴んで、次の場所へと運ぶのだろう。