遅れて実感が来た日
始まりは、漫画の単行本を最新刊だと思って買ったらそれはぜんぜんダブりだった…ということ。
その本を売るついでに、部屋の片付けをして、売れるものをぜんぶ売ってしまおうという断捨離だった。
結論として、売っても500円にもならないだろうということで、全廃棄。
ただ今回の断捨離は、少し特別なものになった。
2024年の栗じゃないと出来ない、見事なパフォーマンスだった(自画自賛)。
自殺直前のたくさんのメモ帳をサラッと見返して、
(ごちゃごちゃ書いてるその時間で、何かしらアクションを起こさないのか?)
とは思う。
まあちょっと、外出するなって感じの時勢だったし…実際に閉鎖病棟にいて、物理的に読書か考え事しかできなかった時期もある。
ダンベルも廃棄。
リハビリのお供でした。
今の私の左腕があるのは、このダンベルの仕事も大きいね。
今回、廃棄した物の重量の80%くらいは、このダンベルたち。
母上も片付けをしたので、なぜか出てきたたくさんの湯呑みも廃棄。
細々とした、もう使わない物たち。
そして包丁ケース。
私の、料理人として生きていた時代の魂です。
しかし放置した時間が長すぎて、鋼の包丁などは錆びてしまっているはず。
それに栗家のキッチン規格だと、包丁が長すぎる。
人に譲るにしても、私の名前が刻印されているし。
東京でのお仕事は、この牛刀とペティナイフが要だった。
別に捨てなくてもいい。
ただ、その時が来た。
包丁ケースを丸ごと、環境センターに持っていく。
衣類の整理もできた。
超スッキリ!!!
印象的だったのは、ゴミ捨て場で包丁ケースを手放す時、職員さんから
「あの…これ、大事な物じゃないですか…?」
と聞かれたこと。
私の仕草や、包丁ケースの中身を説明する様子を見て、この包丁たちが私の物であったことを察してくれたみたい。
こいつは思い出のこもった物を廃棄しようとしている。
一時の気の迷いで捨てるなら、後で深く後悔することになる。
なんて優しい職員さんなんだろう。
もちろん、私が後から「やっぱり捨てないで」とか連絡してきたらめんどくさいですし。
それでも、ゴミ処理場で、ここまで人の想いを感じたことがあるか。
見下したがってるわけじゃない、ここは絶対に必要な場所…ただ、私は今まで、この場所で人の感情を感じたことがなかったから…大きな衝撃だったんです。
もうこの包丁、あなたのその素晴らしい一言を聞くためにあったと言って良いわ。
物を手放しただけだが、もう昔の私ではないんだなあと、遅れて実感が来た。
絵日記もよろしくね♪