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私が強迫性障害になるまで

高校生の時に家族から初めて、
「お前はADHDなんじゃないか」
と言われた時は、初めて聞く単語に戸惑いつつ、何か取り返しのつかないミスをしてしまった時のような感覚を感じた。

その時はADHDが発達障害の1つだということも知らなかった。

その日私は、学校帰りに家族に車で迎えに来てもらっていた。

しかし私が待ち合わせる駅を間違えた。

それが最初ではなかった。

もう何度も。

私のケアレスミスの多さを見かねた家族が、とうとう私に発達障害の可能性を示唆したのだ。

その時私は現実とまっすぐ向き合わなかった。

結局、私がちゃんと病院で発達障害の診断を受けるのは、それから9年経ってからになる。

私は昔から、やりたくない事は
「やるか、死ぬか」
の選択を迫られるまでやらない。

20歳の時、初めて精神科を受診した時もそうだった。

その時は強迫性神経症の症状がすごく悪くなって、
「このまま神経症の症状が治らないまま一生を過ごすなら、今死んだほうがマシ」
と思えてきて、けれどその前に一度精神科を受診しておこうと思っての事だった。

私は生まれつき、度を越して神経質だ。

ゲームをする際は、自分が操作するキャラの一挙一動まで完全に思い通りにならないと気が済まなかった。

ポケモンなら、
「一歩でも余計な動きは許さない。
1回でも余計なボタン操作をするのも許さない。
完璧なプレイ以外は絶対に許さない」
というような精神状態に陥った。

自分でも理解できない。

現実ではパンツの布の感触が嫌で、パンツを一切履いていなかった時期もある。

とにかく、“完璧” 以外を許さないという、生来の脳の性質があった。

そこに高校に入学してからの対人関係や成績を中心とした、強烈なストレスが加わった。

もともと病的だった私の神経質は、さらに日常生活に大きな支障をきたすまでになった。

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