やさしくして
生まれてきた意義は特にないと思う。
生きている意味ももともとなかったように思う。
当たり前だがそう考えると楽だ。
他人を前にすると、何を話していいのかわからなくなる。
前向きなことを言わないといけないような気がしてくる。
言葉にする意味がないことしか言っちゃダメなのか。
何を話せばいいのかわからない。
考えることができるだけ私はまだ幸せだ。
入院中に同じ病室にいた老人たちは、もはや自分で考えることもできない状態だった。
飛び降りる前の私は、歳をとっていくことがひたすら怖かった。
デイケアに一緒に通っている中年以上の人間を見て、
「こんな風になるくらいなら死んだほうがマシだ」
と心底思った。
心に問題を抱える人たちは、共通して、他人の立場に立って物を考えない。
自意識に他人が入らない。
そういう人間から病んでいくのか。
私も母から
「意識に自分1人しかいない」
と指摘された。
「他の人たちはそうじゃないんだよ」
とも。
文章を書くときは
「そもそも自分は何をしたがっている人間なのか」
と毎度考える。
なぜ自分はこんなに浅慮なんだろう。
もう少しだけ落ち着いて物を考えられなかったか。
昔からすごく暴力的な子供だった。
幼稚園時代にウサギを殺した。
小学生の時からの同級生に暴力をふるっていた。
高校時代はいじめの標的にされていたかもしれない。
暴言を吐いた回数も、暴力を振った回数も、自分の方が上な気がするから、堂々と被害者面はできない。
自殺した事は、自分にとってバリアーの役割を果たしているように思う。
「こいつに下手なことを言うと自殺するぞ」
という周囲の意識が向けられている。
私は怪我が治らないと、前向きな気持ちになれないのか。
私の怪我はこれからどう進展するかわからない。
何が何でも、何が起ころうとも今年1年は死なない。
その後の事は、今年が終わったら考える。
現状、私には何もない。
レストランで働き、ものづくりが仕事だった。
両腕がまともに動かなくなった私には、もう何もない。
今やってる超音波治療が順調に進めば、再手術はしなくて済む。
入院中、看護師さんにとって患者は「人」ではなく「仕事」なんだなと思うことがあった。
もちろん人による。
患者を「仕事」と割り切ってしまっている看護師さんは一目でわかる。
目が死んでるから。
せめて精神科の相談員さんの前では、率直で素直な自分でありたい。
今でも不思議な魔法で一瞬で自分の体が治ってしまう妄想をする。
特に後遺症を抱えてる人はみんなそうなんじゃないかな。
なんやかんや、病院か自宅にずっと待機してるから、私はコロナから最も遠い人間かもしれない。
もし私が健常な体を持っていて、外出を止める人がそばにいなかったら、確実に外出自粛はしていない。
見ず知らずのお年寄りたちが何万人死のうが、全く心が痛まない。
私が職を失ったり、精神科の閉鎖病棟に入院したり自殺未遂をしたりしてる間にコロナ禍になったのは、何か運命を感じる。
これ以上はないと言うタイミングで来てくれた。
とにかく最近の困りごとは、起きてる間の活力が湧かないことだ。
今更1日が睡眠で終わることに罪悪感もない。
自分が甘えているだけだっていう現実と向き合いたくない。
私は自殺未遂をして可哀想で哀れな怪我人になったんだぞ。
優しくしてください。