発症[機能性ディスペプシア闘病記-10]
単身赴任で不在にしていた父が帰ってきた。
もはやこの頃、彼に対しての嫌悪感は頂点に達していた。
実家をしばらく留守にする前にも、自転車を盗んで警察に連れられて帰ってきたり、どうしようもない人間だと軽蔑していた。
彼が戻ってきた時も、顔を見ただけで吐き気がした。
また、父があまりに短期離職を繰り返すため、母は家計を安定させるべく資格の学校に通い始めた。
代わりに家事をやる、という名目で祖母が家に出入りするようになった。
元々徒歩5分のところに住んでいたので、同居同然のような心境だったのだが、実際毎朝出入りされると気持ち悪さが尋常ではない、と思った。
僕や母を虐待して育てた人間である。
顔など絶対に見たくない。
全てが合わない大学の人間関係、バイト先の疲労の残り、父と祖母、などいろいろ重なってしまって、心が悲鳴を上げていた。
楽しい、と思う瞬間が1mmも無い。
しかし、たまに会っていた高校の同級生は「椅子を投げて暴力を振るってくるバイト先」の話をゲラゲラ笑いながらしていたりする。
僕よりストレスフルな環境だろうに、明るく過ごしている。
自分は何て弱いんだろう、と自分の苦しみに蓋をしてしまった。
今なら「人それぞれの感じ方、人それぞれの地獄があるんだから、比べるなんてナンセンスだよ」と自分に声をかけてあげられただろうに。
ある晩、祖母が中華丼を作った。
彼女の料理は不味くて、家族の間でもとりわけ評判が悪い。
しかも嫌悪の対象が作ったものである。
食べたくない、が、仕方なく食べた。
食後に、味わったことのない胃の重さ。
冷や汗が出てくる。
まるで、胃のなかに腐ったボーリングの球が入っているようだ。
動けば消化が促されるかな、と少し外を走ってみるが改善しない。
ブルブルと手足が震えてきた。
苦しい。
気持ち悪い。
そうか、吐けばいいのか。
便座に顔を突っ込む勢いで、喉に指を入れて刺激した。
ほぼ未消化な状態で吐き切った。
ホッとしてその日は眠った。
が、次の日から、毎食後、必ず同じ症状に見舞われることとなった。
慢性的な胃もたれ。機能性ディスペプシアを発症してしまった。
2008年春のことである。
まずは、胃腸の病気かもということで、内科を受診した。
胃カメラを飲んだが、特に病変は見られない。
「なんともないですね〜」と医者は言ったが、こちらとしては何を食べても、どんなに食事量を減らしても胃がもたれるので、なんともないはずがない、と疑う。
なんせ朝食を食べたら最後、一日中胃が動かなく、気分の悪さにその日は何もできないのだ。
鍼灸師の祖父に相談しても、「少なく食べればいい」としか返ってこない。
いや、おにぎり半分でも絶不調になるのだ。
内科で処方されたガスモチンという、消化管の運動を改善する薬も全く効かない。
別の内科で「ガスモチンは効かなかったので、違う薬はありませんか?」と尋ねても、「薬はどんなに飲んでも毒じゃないから」と同じ薬を出されて終わり。
それしか手を思い付かなかったのだろう。
3〜4件、内科を変えても同じ調子である。
診断は今や機械でできるし(当時は今ほど一般的な単語ではなかったがAIとかね)、薬は疾患名に対応したものを適当に出せばいい。
医者なんていらないじゃないか、と思った。
仕方がないからやがて、食事をほぼしないことにした。
高校時代から体型にほぼ変動がなかったのだが、最も痩せた時は43kgだった。
13kg減である。
食事もろくに楽しめず、大学も楽しくなく、家には居場所もなく、また変な職場に当たったら嫌だな、とバイトも日雇いのような短期のものを少しだけ、という感じ。
なんとなく童心に帰りたくなって、昔好きだったTV番組でも見返すか、と「クレヨンしんちゃん」の劇場版や当時の最新の「ウルトラマン」を観てみた。
これが、大学生でも面白い…というか、当時をはまた違った感性で楽しめることに気づいた。
特に「ウルトラマンネクサス」には魂が救われる思いがしたのだが、文字数の関係で次回に続く。