僕が死刑廃止の立場を崩さない理由[日記-16]
袴田事件の再審請求が認められ、無罪が確定した。
無実でありながら、死刑囚として60年弱を獄中で過ごした袴田さんの無念は計り知れない。
このところ、体調がかなり落ちている(というか、今までの人生の毒だしが進んでいて、良い方向へ向かっている「好転反応」が起きている…が辛い)ので、以前死刑について書いたブログを再掲する。
(当時のブログは元交際相手に見られたくなくて閉じてしまった)
かつて僕は死刑制度廃止団体に所属していた(持病が酷くなって辞めた)。
きっかけは「リーガルハイ」というドラマで、死刑がテーマに扱われていたこと。
そこから色々と調べて、毒入りカレー事件の林真須美氏も、現在では無実が明白にも関わらず、死刑囚として収監されていることも知った。
オウム真理教の麻原彰晃氏にしても、地下鉄サリン事件を指示したという立証はなされていないにも関わらず、死刑が確定となった。
そして、心神喪失状態にある者に刑罰を処してはならないにも関わらず、拘禁症状で意識のない状態だった麻原氏を死刑に処した。
法治国家ではないな、ここは、と思った。
先日名古屋刑務所で、受刑者を呼び捨てにするのをやめるという記事を見た。
https://www.yomiuri.co.jp/national/20231006-OYT1T50226/
ようやくその段階か、と思った。
そう、日本の刑務所は受刑者を呼び捨てにする、どころか徹底的に人権を剥奪し、人格を否定する。
それが更生プログラムだとするならば、全く機能していない。
日本の再犯率は世界でもトップクラスの58%(2020年)だ。
対して、世界最低の再犯率の国はノルウェーの20%である。
ノルウェーもかつては「厳罰」傾向であったが、当時の再犯率は6〜7割だった。
なぜここまで下がったか。
「厳罰」から「寛容」に舵を切ったからだ。
人が犯罪を犯すのは
・愛情が満たされていない
・金銭面で満たされていない
・学業面で満たされていない
のいずれかであり、刑務所ではこれらを満たすことで更生を促す、というのがノルウェーの現在の方針である。
だから、ノルウェーの刑務所では受刑者はのびのびと暮らしている。
出所後の働き口も面倒を見てくれるから、金銭面の心配もいらない。
希望すれば大学に通うこともできるので、学業面でもさまざまな知識を得られる。
それらの取り組みが再犯率の低下に結実している。
日本で、死刑制度を支持する方の理由のメインは「被害者家族の報復感情」だ。
だが、被害者家族の全てが死刑を望んでいるわけではない。
また、死刑執行後に被害者家族が後悔するケースも稀ではない。
そして、家族の報復感情を理由にするなら、被害者が天涯孤独な場合はどうする?
そもそも日本の殺人事件の半数は家族間で行われている。
被害者家族=加害者家族であるケースが半数を占める。
「被害者家族の報復感情」だけを理由に死刑制度を存続するのは無理がある。
そもそも、法律で「復讐」を認めるべきなのか、人を殺してはいけないということを、人を殺すことで教えるという倫理的な矛盾はどう解消したら良いだろう?
日本では冤罪も多い。
起訴されればほぼ100%有罪になる。
では起訴を慎重に行なっているかといえば、そんなことはない。
その証拠に、警察による取り調べの可視化(録音・録画)が一向に進まない。
自白の強要など後ろめたいことがないならば、さっさと可視化すれば良い。
2016年に可視化が義務付けられたが、蓋を開けてみれば、実施されているのはたったの3%である。
自分が、無実にも関わらず死刑執行されてしまったら、と想像してみると良い。
そんな方が日本には何人もいる。
この時点で、即時廃止すべきだと僕は思うけれど。
ノルウェーではまず、被害者家族のケアも徹底している(精神面、金銭面)。
そしてそもそも、国民の幸福度ランキングで、ノルウェー含めた北欧はいつも上位。
日本は40位前後。
幸福度が高いから、ノルウェーは初犯も少なく、治安が非常に良い。
確かに北欧は社会福祉が充実しているから、政府に「満たされている」面もあるだろう。
しかし、そのレベルを日本政府に期待しても仕方ない。
無理である。
日本政府には一切期待しても仕方ない。
日本では、前科者は就職がほぼできない。
顔も住所もネットに晒され、社会的に抹殺される。
そんな人が刑期を終えて、真っ当に生きられるだろうか?
結局就職もできず、お金がなくて、また犯罪を犯す。
そのサイクルを作っているのは他ならない、僕らひとりひとり。
日本の死刑は絞首刑だ。
そのロープ代は、僕が払っている税金から拠出されている。
僕がロープを吊るし、受刑者の首に輪をかけ、床が落ちるスイッチを押し、階下で死体を受け止めて押さえつけ(絶命するまで多少時間がかかる)、排泄される汚物の処理をし、死体の処理をしている。
僕は加担したくないから、反対する。