マガジンのカバー画像

機能性ディスペプシア闘病記

12
日本の新国民病とも呼ばれる機能性ディスペプシアの闘病記です。人生全体に関わるものだったので、発病前(幼少期)から完治までの流れを綴ります。
運営しているクリエイター

2024年11月の記事一覧

発症[機能性ディスペプシア闘病記-10]

単身赴任で不在にしていた父が帰ってきた。 もはやこの頃、彼に対しての嫌悪感は頂点に達していた。 実家をしばらく留守にする前にも、自転車を盗んで警察に連れられて帰ってきたり、どうしようもない人間だと軽蔑していた。 彼が戻ってきた時も、顔を見ただけで吐き気がした。 また、父があまりに短期離職を繰り返すため、母は家計を安定させるべく資格の学校に通い始めた。 代わりに家事をやる、という名目で祖母が家に出入りするようになった。 元々徒歩5分のところに住んでいたので、同居同然のような

勉強する理由[機能性ディスペプシア闘病記-9]

大学の人間関係に大きなストレスを感じていた夏、浪人時代にお世話になった予備校のチューター(勉強を教える講師ではなく、生徒のケアなどをする職員)から声をかけてもらった。 個別指導部で新しく校舎を出すため、講師としてアルバイトしないか、というお誘いだった。 何かアルバイトしたいな、と検討していた矢先だったので、ありがたく引き受けた。 お世話になった恩返しも、もちろんしたかった。 新校舎の教室長は中田さん(仮名)。 アルバイト社員は合計で7人ほど。 講師1人で、生徒2人を教える

他者への期待[機能性ディスペプシア闘病記-8]

大学では教育学部に入った。 特に教員を目指していたわけではないが、「金八先生」が好きだったので、漠然とその分野に興味があった。 初回の授業から、違和感を感じた。 内容が、あまりに現実から乖離しているように思えた。 理想論というか、机上の空論に近い。 教育とは、僕のイメージでは「支援」あるいは「子どもの可能性を引き出す」というものだと認識していた。 学部での定義は「矯正する」「これなしではまともな人間に育たない」という、傲慢なニュアンスにも違和感があった。 グループワーク