はっけん

選択肢ができてしまうから、気付かない方がいいんだよね。ひとつ気づいてやってしまうと、次からもその選択肢がうまれてしまうでしょう?って言葉をきいて、すごく考えた。これまでのわたしは気付かない方がいいことにも気づいてなかったのかもしれない。
気付いてない期間が長ければ長いほど、気づいてなかった頃の自分を殺せなくなる。気づいてなかった頃の自分と切り替えて進めたらいいのに、気づいてないフリをすることで自身を正当化し、自身を保つ。これがプライドなんだと思う。歳を重ねるごとに自分の常識が常識じゃなくなっていく、その変化についていけてない自分。そんな自分に気づかないし、気づきたくない。都合のいい頭してるよね。

でも歳を重ねたひとの経験値は“偉い人“の地位をつくってしまう。若い人間、知らない人間は口出すなってよくある話だもんね。私もむかし、実力もないのに口を出すなとキツく怒られたことがあった。組織も組織の栄養素として経験値がある人間を好んでいる。できる人間が求められる。そんなの当たり前だよ。

できないからできるようになりたい、できてる人が羨ましい。まだできる、上には上がいる。もしかしてこれ、永遠に完成しないものについて考えてることになるのかな。理想と欲が重なって、現実と視線が課題を投げ続ける。妥協が大事、っていうけど、本当は妥協以外の選択肢がない。全ては妥協で出来上がってる未完成品?でも諦めると妥協はちがうものだと信じ続けてるし、それはやめたくない。


これはまた気づいてしまってる?そして、気づかないふりをしている?

はやく夢の世界へ溶けていたいよ。

「夢は現実の中で戦ってこそ意味がある。他人の夢に自分を投影しているだけでは、死んだも同然」

って草薙素子少佐がいってたの思い出した。(攻殻機動隊)神様は人間に難しいミッションを与えすぎだよ、もし本当にすべてが妥協でできてるのなら…それでも妥協したくないと思ってしまうこの感情を組み込んでるのも神様のいじわる、天性のSなのかな。

考え事いっぱいしちゃうけど!今月もがんばろう!たくさんの発見と人との出会いを感じる、とても素敵な六月でした。

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