発見
こんばんは。3回目ですが、自己紹介をしていなかったので少しだけ。私は大学生とスーパーの店員として生きています。1月末がちょうど忙しい時期でなかなか更新できずにいました。自己紹介、しようと思ったけど紹介することあまりなかったのでとりあえず今回はこれだけです。
話は変わって、今日の発見。今日はスーパーの店員として朝からスーパーに。スーパーにはいろんなひとがいます。男性、女性、大人、子供、おじいちゃん、おばあちゃん、家族と一緒に、友達と一緒に、恋人と一緒に、会社のお昼休憩に。それぞれがそれぞれの生活を送る中で、少しだけ同じ世界を共有する時間です。すれ違う人すべてにそれぞれのストーリーがあります。そう考えただけで、この人の人生に私が関わったのかと感動したり、質問に上手く答えられなくて迷惑をかけてしまうことに傷ついたり、忙しい感情の中過ごしています。自覚はあります。めんどくさいです。
今日もいつもと変わらず、お客さんをみて、店員をみて仕事しながら時間の経過を待っていたのですが、商品を袋に詰める台の上に誰かが置いていったカゴがひとつ。つかったものは元の場所になおす。ほとんどの人が当たり前にしている行為であるのに、置きっぱなしになっているカゴ。これは少なくありません。普段は見つけた時に店員が元に戻します。正直、カゴ片付けようよ!と心の内でつっこんでいたりするのですが、今日はある男性が誰かのカゴを自分のカゴと一緒に直してくださってるのを見つけました。私がいる場所からは距離が遠く、気づいた時にはもう片付けてくれていました。
このときにふと「努力は簡単には報われないけれどもその努力を見てくれている人はいる」という誰かの言葉を思い出しました。綺麗事にきこえませんか?私はそう思ってしまいます。今回私が見つけた男性は、努力をしていたわけではありません。しかし、その気遣いを私は発見した。この事実だけを見れば、この言葉の意味に少し関わるところがあるかもしれません。でも私はその気遣いに対して何も伝えませんでした。伝えられる距離にいませんでした。男性がカゴを直してくれたところはみたけど、それを誰かに伝えたわけでもなく、男性にお礼をしたわけでもない。ただ見ただけだった。私は申し訳ない気持ちでいっぱいでした。片付けようと思ってくれたことがただただ嬉しかったのに何も言えなかった。
なにかをした時、見てくれている人がいたとしても本人が知らなければ、本人にとって見てくれた事実は存在しない。そもそもこの言葉はそう信じて努力しなさいという解釈で受け取るものだとは思っています。だから綺麗事で良いのだとも思います。でも、なぜか、ひっかかりました。ちゃんと見てるよって言えないけど言いたかった。「伝える」って難しい。その場の空気や環境や立場、いろいろなことが影響しあって成り立つものだと思います。その中で複雑な繊細な気持ちをどう伝えるのか、考えれば考えるほど答えはでません。でも、難しいからこそそのために毎日勉強してるのかなと思いました。学力的ではなくコミュニケーションや人間関係において、自分の時間を使って誰かに何かを伝える。誤解されるし、上手く伝わらなくて勝手に苦しむこともよくある事です。できるだけ私の心のままに伝えられるようにする。今こうやって、深夜にnoteに綴っているのも今日見つけたものをなんとか形にしたくてその思いだけで文章を書いています。
なかなかうまくいえないけど少しでも今日の男性の気遣いが、私の発見が1人でも多くの方に届けば嬉しいなと思いました。あの時カゴに気づいてくださって、そのあと一緒に戻してくれて、ありがとうございました。
少し長くなってしまいました、読んでくださりありがとうございます。明日が今日より大人になれますように。
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