
蛇蝎の如く/ゴールデン・ボウは振らずに
「王」とは、世界に奉仕せし贄の総称である。
故にその権能は世界の生命力の象徴であり、その大義は権能を振るう事を是とする人々の同意によって形作られ、その御身は俗世の穢れから分かたれた無垢を維持しなければならない。
然らば、自然の道理からして、世界と等号の関係で結ばれた王が老い、穢れを知り、自らの力を失う時、世界はそれに伴い衰退の危機に瀕する事となる。
だが、たった一つだけ。世界の崩壊を避ける手段がある。
外在する王の魂を身に纏い、旧き王を弑した者が、新たな王に立つ事。
「そうカ、ヤツラはまたしても手を結ぶ事を選んだカ。
……Q.E. D.。お前には、ワレの思惑が理解できると思っていたのだがナ」
鬱蒼とした森の奥。異形の男は、残念がるような素振りと共に、深く息を吐いて目を閉じた。
目を閉じた先に浮かんでくる情景はいつだって一つ。この"龍世界"を定義する「大王」と、外から到来した"禁断"の存在が真正面からぶつかり合い、圧倒的な力の奔流に押し流されそうになった記憶。
この戦いを目撃した事で、男は"禁断"という埒外の存在すらひれ伏せる、龍の力に魅入られた。
だがその一方で、言い知れぬ恐怖にも駆られたのだった。
"これ程までに圧倒的な龍の力ですら、禁断を滅ぼすまでには至らなかった。
ならば、龍の力が衰退し、あの禁断の封印が解き放たれた世界では、彼奴に対抗する手段など、果たして残されているのだろうか。"
その恐れは、男を龍の力の根源・龍素の研究へと向かわせた。
水文明で頭角を現していた新鋭の研究者に近付き、共同で研究を続ける内に、男は一つの結論に辿り着いていた。
「大王」の持つ龍の力はやがて衰退する。
そして、その時世界を維持する為に必要なのは、龍に非ざる者を龍素の力によって龍に変え、その魂を"器"とする事。同じく龍に非ざる者がその器を振るい、旧き龍の支配者を弑する事。
このイニシエーションによって、王の持つ龍の力は弑逆者とその器に宿り、この龍の世界の新たな守護者(王)となる。
結論を悟った男は、共同研究者に対してその研究の成果を披露する事にした。
後に「ラプラスの魔」と呼ばれる事になるこの事件以降、男は世間から姿を隠す事を選んだ。
そして、異界の来訪者が開催した"とある催し"を再演し、王殺しを達成する事のできる器の候補を探す事に注力したのだった。
あれから幾星霜。
予定通り「大王」はその力を衰えさせ、遂にはその力の本懐たる龍達に討伐されてしまった。だが、その敗北は単なる支配者の移行のみを意味していない事を、男だけが知っていた。
龍世界が居なくなる事。それは、世界における龍の支配が弱まり、禁断の鼓動が始まる事と同義。
男は、自らが講じた策を実践に移す時が来た事を悟った。
瞼を再び開けると、男の手には斧が握られていた。
男はゆっくりと立ち上がり、蔦にまみれたロープをその斧で断ち切ると、森の地下深くから轟音と共に巨大な龍の魂の器が動き出す。
「行ケ。オール・オーバー・ザ・ワールド」
男の指令と共に、その巨躯が世界中を覆わんとしていた。
***
「龍の王の移行とは即ち、前王の龍素をたった1人の身に集め、人に非ざる者、龍の王へと昇華させる事であるゾ。「大王」を何者かの協力で討伐した所で、二者にその力は宿らず、ただ離散するだけダ」
そして、その"協力"こそがお前たちの今回の敗因でもあるナ、と男は言葉を続けた。
話しかけているのは、二刀を携えた熱血の剣士。だが、剣を構えるのがやっとのその姿は、彼が男の前に苦境に陥っている事を指し示していた。
男がオール・オーバー・ザ・ワールドを起動してから、各文明は甚大な被害を受けた。
男の開いた武闘レース『デュエル・マスターズ』の継続も当然危ぶまれたが……それぞれ、各文明でトップを走っていたドラグナー達と、その相棒たる王たる龍魂の器(ドラグハート)は会合を開き、異形の男の討伐を第一優先とする事で協力する事に同意した。
これは、各文明間で分断の進むこの"龍の世界"において、極めて異例の事であった、が……
「グレンモルト……貴様は想定外の存在だっタ。そのガイハートとやら……ワレの作ったドラグハートではナイ。ワレの選定した器の候補者ではない貴様がここまで来れた事、それ自体は驚嘆に値すル」
だガ、と男は言葉を切ると、グレンモルトに対して強烈な蹴りを喰らわせた。
吹き飛ばされたグレンモルトは再び起き上がろうとするが、その背に男の足が重ねられた事で上手く立ち上がる事ができなかった。
「ここまでだ、グレン家の倅ヨ。貴様には"器"と"友情"とやらによってここまで導かれただけの凡人ダ。
個の力でここまで辿り着き、龍の王たる資格を手にしたワレの力を凌駕できる存在でなければ、この世界を救う事はできン」
「……王?」
足蹴にされ、地に臥した熱血の剣士はフッと笑うと、身につけていた剣を手放した。
それを見た男は血相を変える。
「血迷ったカ?グレンモルト」
「ドラグハートも……"王"の力も……確かに全て、オレの自身の力じゃない。だが、ギンガやラオウと駆け抜けた『デュエル・マスターズ』の日々。そして、ここまで来る為に協力してくれた他の文明。それは、オレ自身の力に変わってくれる。
だから……オレは!」
突如、臥したグレンモルトの周りを強大な龍素の嵐が包み込むと、その容貌を瞬く間に変えていった。
その勇気は身を纏う鎧のように、その愛は魂を護る兜に、そしてその龍の力は二色に煌めく篭手として。
紅き嵐が収まると、そこにあったのは先の傷ついたグレンモルトとはまるで別人のオーラだった。
熱血の剣士は力を極め、ついにドラグハートすら必要としない、徒手空拳のドラグナーとして生まれ変わったのだった。
そして同時にそれは、龍の王となる資格を自ら放棄した事に等しかった。
それに気付いた異形の男は、初めて焦ったように新生したグレンモルトに対して声を荒らげた。
「貴様……龍の王になる気はないのカ!」
「そうだ!真なる邪悪、ザ=デッドマン!オレはそんなものにこだわるつもりはない!
オレたちが目指すのは『デュエル・マスターズ』のゴール!そして、更にその"先"に行く!」
グレンモルトが出した解答は明快であった。
そして、明快であるが故に……その眩しさから、男は反駁する事が出来なかった。
男が考えてきた"世界を救うプラン"、それは現状維持の延長線だった。
王殺しのイニシエーションによって「大王」の持つ龍世界の権能を引き継ぐ事で、龍の世界を半永久的に維持する手段を見つける事。それこそが、彼の出発点だった。
それを引き継ぐ者は誰でもよかった。
「大王」の力を吸収したワレが、そのまま"龍の王"として人身御供になるのが一番手っ取り早いが……あるいは、ワレを倒す力を持つ、選定した"器"の候補者の中でもいい。
だが───欲に素直になれば、ワレのやって来た事を理解出来る者であれば、より喜ばしいだろうナ。
一瞬だけ、男の脳裏に1人の蒼き龍が浮かんだが、そのイメージは直ぐに霧散した。
そう、自ら終わり(THE END)を定めた、これからも龍の支配を再生産し続ける"王殺しの王"という役割を果たしてくれれば、誰だってよかったのだ。
だが、目の前にいるのは、王の資格という"役割"を捨て、更に"次"へと向かおうとする男。
グレンモルトの打撃を幾度も幾度も喰らう度に、自らの最期への悟りと、その計画の失敗に対する落胆と、"先"を語る男に賭けてみたい好奇心が、代わる代わる男の心中を駆け巡る。
最期の一撃を受ける瞬間、男は目の前の徒手空拳のドラグナーに対して、挑発するかのように問い質した。
「グレンモルト……"王"である事を捨てた貴様にこの世界の危機を背負う覚悟はあるカ!?このままでは”禁断"は必ず目覚めるゾ!!」
それを聞いたグレンモルトは戸惑ったように一瞬逡巡したが、意を決したようにこう言葉を返した
「そんな時は……オレが、いや、"オレたち"で必ず止める!!!」
男は、最期の最期で、自分が"それ"を最初から知っていた事に気付いた。
たった1人でずっと、世界を禁断から守る役割を果たそうとしてきた。龍素に満ちた世界を維持する為には、たった1人を犠牲にする必要があると思い込んで。
だが、それは全て、「誰の力も借りず1人で出来る」という慢心が引き起こした事だった。
そんな事は、あの研究者と龍素を研究していた日々から、少しは学んでいたはずなのに。
文明間の"協力"。王を捨てた"その先"。
ワレが可能性を見切ったそれらが、禁断に対抗する力になるのならば。
期待してもいいのだろうナ、グレン家の倅。
そして、頼んだゾ、────────
***
エピローグ
グレンモルトから事の顛末を聞いた龍素の王は、ずっと喉に刺さっていた小骨が取れたような、しかして、ずっと大切にしていたものを失くしてしまったような、どちらとも分類する事の出来ない感情のるつぼに嵌っていた。それは、常に"完璧"を標榜する彼女らしからぬ情動に他ならなかった。
あの異形の男────ザ=デッドマンが、自身の"科学的"なアプローチとは反対の、"呪術的"なアプローチで龍素を捉えていた事は知っていた。
そうした呪術的なイニシエーションを前提にすれば、「ラプラスの魔」事件────即ち、ザ=デッドマンによってQ.E.D.がドラグハート化された事件の背景には、彼なりに世界を救う為の道理が存在していたという事になる。
やはり、という感情。ではなぜ、という感情。
二律背反のような感情の揺らぎが、湯気を立てるコーヒーの水面に映る。
ポタ、ポタと重力に従って水滴を零すサイフォンから、彼女はもう戻る事のできない過去を想起した。
こんなものだって、過去の再演に過ぎない。男の残した精製道具を今でも大事にしているだなんて。
息を吹きながらずずっと濃黒い液体を飲み込もうとすると、好きでもない苦々しい風味が口内に広がるだけ。
男が目指していたのもまた、世界の龍の力を再演する事。そうしなければならない程、彼が恐れた強大な外敵というのは一体どんな存在であると云うのか。
コーヒー以外の苦々しさまで、口内に交ざったのを感じた。
だが、それでも。
「───たとえ、どんな未来が待っていたとしても。
ザ=デッドマン。私たちは、過去を繰り返し続けるだけで生きていく訳には行かない」
まだ温かいコーヒーを一杯だけ飲み干すと、彼女はサイフォンを処分する事にした。
それはあの熱血の剣士が目指した"先"であり、王としての"終わり"を超える事を決意した、Q.E.D.の新たな答えだった。