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『運命』を越えて;PLAY'S CHRONICLE PACK解釈【デュエプレ】

クロニクル。その言葉の意味は、『年代記』。
壮大な歴史の一枚(ひとひら)を片し、執筆者が編纂した物語の事だ。
ならば、デュエルマスターズプレイスにおけるクロニクル、『PLAY'S CHRONICLE PACK』。
このパックはどのようにデュエプレの歴史を綴り、どのような意味をこのゲームにもたらしたのか。
リリースから3ヶ月弱経った今、改めてこのパックの意味について解釈を試みる。

・2つの"クロニクル"

このゲームは『デュエル・マスターズプレイス』というタイトル名からも分かる通り、TCG『デュエル・マスターズ』の歴史を下地にしたDCGである。
当然、その歴史を語る上では『デュエルマスターズ』の歴史と重なる要素が多分に存在する。

事実として、このパックのSRの内、
《紫電ボルメテウス・武者・ドラゴン》
《神聖の精霊アルカ・キッド》 
は、


TCGにおける"クロニクルパック"である『マスターズ・クロニクル・パック』に収録されていたカードであり、また
《悪魔神バロム・クエイク》
は、


マスターズ・クロニクル・デッキ』に収録されたカードである。

すなわち、TCG『デュエル・マスターズ』のクロニクルもまた、このプレイスクロニクルパックが綴る歴史の中に内包されているのだ。

確かに、デュエプレは《武者》《アルカディアス》《バロム》といったTCGの人気クリーチャーを尊重する立場でカードデザインする傾向があり、またこれらの人気カードは実装時の能力変更によって本家TCGよりも活躍する場合まで存在する。

だからこそ、プレイスの歴史のフィルターを通した彼らは、TCGのクロニクルを更に超えた、新たな存在として再臨する。
例えば、


《紫電武者》はTCG版ではなくプレイス版の《武者》と《紫電》の能力を引き継ぎ、

《アルカ・キッド》は《聖霊王アルカディアス》のツインカードとして、かつ無から《ホーリー・スパーク》を手札に加える、というDCGでしか再現のできないカードとしてリリースされた。

部分的に重なるデュエマとデュエプレの歴史、その両端の要素を拾いながらも、あくまでデュエプレ的・DCG的な改変を加えてリリースしている所に、このパックが『デュエプレの年代記』であるという事の意義を見出す事ができる。

・決闘の史跡の行先

無論、その眼差しは『デュエプレ独自の環境』という所にも向けられている。
このパックでは、かつて環境で猛威を奮った
【青白メカオー】
【サムライ】
【ゼロ・フェニックス】
【スノーフェアリー】
といった"デュエプレらしい"アーキタイプの強化が重点的に行われている。
また、
《二角の超人》
《光輪の精霊ピカリエ》
《地獄の門番 デスモーリー》
《秋風妖精リップル》
のような、1弾環境で活躍したカードたちのリメイクカードもまた実装されている。

これらに共通するのは、いずれもユーザー達が熱心に使用し、『プレイスの環境の歴史』とした刻んだ事跡によって、新たなサポートカードやリメイクカードが誕生したという事実である。

ユーザー達が全く違う環境を描いていれば、その枠には全く違うカードが当てはまっていた事だろう。
プレイヤー自身が選び取った選択、そしてその記憶によって、歴史という物語は生まれ、新たなカードとして形になった
それこそが、このパックのコンセプトが持つ『ユーザーと開発者の双方向性』であり、近年のデュエルマスターズが意識的に行っている開発方法の一つである。

・祈りと願いのパック

その方向で述べるならば、今回のシークレットスキンとして選ばれた『アンちゃん』と『水着カノン』、この2名とも『人気投票』で1位を獲得した事で新スキン化の権利を手に入れたキャラクターである事も興味深い事実だ。

これもまた、ユーザーが自分の嗜好でキャラクターの選択肢を選び取り、捧げた祈りの結実であると言えるだろう。

普段のデュエプレの開発スタイルである、『TCGの歴史をなぞる事』から少し離れ、脇道に逸れるような今回のパックだからこそ、このような"お祭り"的な催しの結果をパックの収録内容に結び付ける事ができた
その構図としては、TCGにおける通常弾と特殊弾の関係に近いかもしれない。

である通常進行パックから、ハレとなるクロニクルパックへ。

捧げた祈りと願いスキンという形を以て結実したのも詰まる所、それがいつもよりも(ユーザーと開発者という)明確な境界線の揺らいだ、夢のような空間であるからだろう。

・虚構、だとしても

では、彼女たちのスキン付属カードとなった《超神星ヴァルカン・アンチャンス》と《神聖貴 ニューゲイズ》はどのようなカードだっただろう。

カードゲーム的には、《アンチャンス》は《超神星マーキュリー・ギガブリザード》の能力を踏襲したカードであり、《ニューゲイズ》は(カノンの初代スキン付属カードだった)《神聖麒シューゲイザー》のリメイクである。

《マーキュリー》も《シューゲイザー》を『プレイスの環境の歴史』において大きな活躍を魅せてきたカードであり、リメイクされる事に関してはそう驚く事ではない……

が、ここにおいて重要なのは、なぜ《アンチャンス》は『ヴァルカン』の名を持つか、である。

デュエプレHP内のデッキ開発部特別記事でも説明されているように、《ヴァルカン・アンチャンス》の『ヴァルカン』とはかつて水星の裏側にあったとされる天体、今はその存在が否定されている『存在しない』天体である。

水星を模したフェニックスである《マーキュリー》の対となるフェニックスであるからこそ、この様なネーミングが成されたのだろうが、その一方でこうも考えられないだろうか。

水星は『TCGデュエマ』であり、ヴァルカンは『デュエプレ』の事だと。

電脳空間の世界であり、TCGとは異なる歴史を歩みつつある、虚構のデュエルマスターズ

《アンチャンス》が実際にそのような意図で付けられた名前かは当然分からないが、それを置いておいたとしても、『年代記』を語るこのパックにおいて、『デュエプレはソーシャルゲームである』、つまりいつまでもサービスが存続し続けられる訳ではない、という『歴史の終焉』に対しての自己言及が度々見受けられる

『デュエルマスターズ』の遺産を利用しながら、自身のゲームとしての年代記を綴るその矛盾。そして、このゲーム(世界)そのものが『売上』や『TCGの遺産の残り』によって成立している、儚い砂上の楼閣であるというその事実。

プレイスクロニクルパックの物語はここに来て、『彼』を呼び寄せる最後の手筈を整えた。

・Above the Fate


《アカシック・タレス》。
彼はTCGの背景ストーリーにおいて大きな存在感を放つ人物だ。

彼と彼の弟である《アカシック・ゼノン》は、『世界の全て』を記録しているシミュレーション・マシーン『アカシック・レコード』に接続してしまったが故に、超獣世界の破滅を観測する事になった。
世界の破滅を知った彼ら兄弟は、超獣世界に新たな技術を生み出す事でシミュレーションの結果を変え得る変数を探している。

ここではぼやかされているがつまり、彼らの見た破滅とは『デュエルマスターズのサービス終了』である。

彼らの見た『サービス終了のその日』は大層悲惨なものであったらしく、存続の為に面白い新ギミックを生み出す事で対抗策としているようだ。

そんなアカシック兄弟だが、兄である《タレス》はTCGにはカードとして登場しておらず、その理由付けとして『観測の際にアカシック・レコードに取り込まれ、電脳空間に置き去りになった』という事が語られている(弟《ゼノン》は彼に代わり実働役として動いている)。

そんな彼がデュエプレにカードとして現れたという事、それ自体が詰まる所、『電脳空間・シミュレーションとしてのデュエプレ』を認識し、この世界の末路を観測する為に他ならないのではないだろうか。

それは、TCGデュエルマスターズと同様に、デュエプレという世界もまた、いずれ破滅する未来をそこに捉えている、そして何ならTCGの世界よりもその未来は近いかもしれない、という示唆をもたらしている。

だが、これだけなら悲観的すぎる。
もう一つ、彼が現れた、という事に意味を見出してみよう。

つまり、観測される事もなく葬り去られてきた幾多の世界線を越えて、《タレス》が観測するに足る可能性を持つ世界までデュエプレは来る事ができた、という証左なのではないか

これまでにサービス終了の危機はいくらでもあった(ように思う)。だが、それを乗り越えて、『デュエルマスターズプレイス』は自らの年代記を記す段階まで来た
それはTCGの後追いかもしれない。感じているオリジナリティなど虚構かもしれない。キャラクター達の人気など、ソーシャルゲームにおけるサービスの永遠など幻かもしれない。

だが、(また、アカシック兄弟と同じように)破滅の運命を越えんとしてきたプレイヤーたちの熱意と選択が、このクロニクルパックという未来を生み出した。

アカシック兄弟の目的は決して『世界の永遠の存続』ではない。
いつか、一つの物語が、一つの世界が終わる時が来ても、せめてその終わり方だけは、綺麗に終わってほしい。
プレイスクロニクルパックという器を以て、プレイヤー達の願いと祈りがそこに現れたように、アカシック兄弟の望む、ささやかな願いと祈りもまた、このパックの根底に流れているのではないだろうか。

・おわりに:散っていった物語に

『デュエルマスターズプレイス』というゲームがリリースされる直前にサービスを終了した、一つのDCGがあった。
War of Blains』というタイトルのそのゲームは、同じタカラトミー開発である事から、要素が幾つもデュエプレに流入している、言うならばTCGデュエマの流れを汲まない『もう一つの親』と言っていい。

デュエプレというゲームは、その『ウォーブレ』というDCGの亡骸から生まれた。

一度死したゲームの転生、という意味合いにおいては……世界の破滅を見た、アカシック兄弟と同じ様な立場であるのかもしれない。

ソーシャルゲームという性質上、永遠は有り得ない。いつかは必ず滅びる。
それは人間だって同じだ。誰だって、いずれは死ぬと分かっている人生を生きている。

だからこそ、人は自らが居なくなった後にも、生きてきた歴史を残す為に『年代記』を書き記す。

デュエプレにおいてこの『年代記』は、このゲームが終わった後も、何かを未来に伝える為の存在なのだろうか。
TCGの歴史を辿り走り続ける今、少しだけ休憩する為に思い出す、過去の思い出のようなものなのだろうか。

今年の12月でデュエプレも5周年。ソーシャルゲームとしては随分長生きになってきた。

この先も、虚構を笑い、運命に挑戦するデュエプレの姿勢が、いつまでも続きますように。





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