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ショーケースの向こう側
《超戦龍覇モルトNEXT》は、高嶺の花だった。
最寄り駅から徒歩8分。行きつけのカードショップのショーケースに、それは常に飾られていた。
値札に輝く『¥2000』の文字。
一介の学生には高い値段だ。怖気付くだとか、そういう段階にも行かなかった。組める気すら起きなかったのだから、ただ羨望の眼差しを向ける景観の一部でしかなかった。
《モルトNEXT》を4枚揃えるだけなら不可能ではなかっただろう。
しかし、それは【モルトNEXT】というデッキを組める事を意味している訳ではない。
外部ゾーンを埋める高価なドラグハートの数々。加えて、【モルトNEXT】というデッキの本質は火文明ドラゴンのグッドスタッフ。
仮にここで《モルトNEXT》のみを揃えた所で、このデッキと付き合っていく為には繰り返し何度も散財する羽目になる事は目に見えていた。
そこで僕達の友人グループは一計を案じた。
大元のリソースが不足しているのであれば、『選択と集中』を図るしかない。
つまり、各々が被りなく完成形のデッキを所持する為に、互いが互いに必要なカードをトレードし合う事で協力関係を構築したのだ。
僕はたまたまオリパで当てた《最強熱血 オウギンガ》を友人に譲り、友人が【モルトNEXT】を組む事を後押しした。
結果として、僕達はそれぞれ異なる環境デッキを保持し、それを互いに貸し借りする事で2015年の大会シーンに立ち向かった。
ただ……それでも。
僕にとっての《モルトNEXT》は、あの日の『ショーケースの中に飾られた』存在のままだった。
今はもう、そのカードショップはない。跡地にはそこにカードショップがあった事すら思い出せないような、女性向けのブティックが入っている。
《モルトNEXT》だって、憧れの存在ではなくなった。度重なる再録や、環境での立ち位置の変化から、今ではワンコインで買えるようなカードだ。
そもそも、2000円の《モルトNEXT》だって、今の自分にとってはそこまで手の届かない値段のカードではない。
ショーケースの中の《モルトNEXT》に付随した、あの日の僕の羨望と諦観の記憶は、いつしか今の僕にとって無価値なものに成り下がっていた。
時は流れて、2024年。
《モルトNEXT》が出てから9年目を迎えた今年。
デュエル・マスターズの歴史をなぞるアプリゲーム『デュエル・マスターズプレイス』において、ついに《モルトNEXT》が実装された。
《モルトNEXT》の生成レートは3200DMP。
《モルトNEXT》が、というよりも、全てのビクトリーレアカードが一律で同じ生成ポイントを要求される。
紙ではレアだった《龍覇グレンモルト》がビクトリーレアに昇格するなど、ユーザーにとっては不利に働く事もある仕様だが、逆に言えば有用さ・無用さだけで生成レートが変動する事もない。
紙のように、強力なカードがショーケースに飾られ、べらぼうに値段を釣り上げられるような、そんな体験を経る必要はない。故に、あれだけ羨望の眼差しで見つめていた《モルトNEXT》を、僕は3200ポイントを支払う事で拍子抜けするほどあっけなく手に入れる事ができてしまった。
確かに、《モルトNEXT》は今でもそれなりに強力で、かつ人気のカードだ。
だが、こんなに簡単に手に入ってしまうこのカードに対して、果たして僕はあの日のショーケースの中にあったあの《モルトNEXT》と同じ魅力を見つける事ができるのだろうか。
いつしか失くしてしまった羨望と諦観の残滓が、望外に得た『追体験』によって、自分の中で少し蠢いたのを感じた。
その後も、当時5000円近くした《偽りの王ヴィルヘルム》や、最高で8000円を記録した《ニコル・ボーラス》が4枚ずつ入ったデッキに当然の如くマッチングするランクマッチを遊んでいると、『値段によって、十全に遊ぶ事のできなかったカード達を、思う存分振るえる事の楽しみ』と、『かつて、ショーケースの中に夢想したカード達が、こんなに簡単に手に入ってしまう事への失望』という2つの背反する感情がメトロノームのように揺れているのが分かった。
ショーケースのガラス板の向こう側。
スマートフォンのガラス板の向こう側。
時を経て、遥かな羨望と夢を観ていたはずのそのガラスの向こう側は、いつしか自分の掌に収まるほど小さなものになってしまったのだろうか。
無情に解けた魔法が、薄光る板の上で踊る姿を、今はただじっと眺める事しかできない。