スーツ姿のまま、22時


ノラねこの足跡とは、情報がひしめく東京という都市でうだつの上がらない日々を嫌厭するために綴る記録である。


午前6時に起きて、電車に揺られて、オフィスで仕事して……。

歩きざまに見えた鏡のまえの、まるで「れっきとした社会の一員です」、とでも言わんばかりの己を見て一言。

「いや、誰。」


「こんなん、僕じゃねえ~~~~!!!」と思いながら、それでも通勤する自分。えらい。非常にえらい。

まあ、そもそも本当の自分を全面的に顕示して働けてる人間、この大日本帝国で何割なのだという話だが。

だからこそ、サードプレイスと呼ばれる家でも職場でもない場所を求める人がこの世にいるんだろうな…。まあ、かく言う僕も、Twitterを居所にしているから似たようなものです。


実際、勤務先では猫をかぶりつつ、ちょっとだけ地を出してみる努力もします。ゲストハウスで暮らしていることや、ライターやりたくて香川から出てきたことなどプライベートも話します。

それでも、話していて思考の前提がちがうような。根本的にどこか「ずれ」が生じているような。そんな違和感がよぎる。

それは、きっと「世の中で起きていることをどこまで自分の身近に感じられているか」のちがいじゃないのかと最近気づいた。

おそらく、「ゲストハウスで暮らす」「会社で雇用されずに働く」「住所が存在しない」、これらの事象は「なんかテレビで見たことある」なのだろうな。言っちゃえば、フィクションとほぼイコール。(実際にこの間、会話中に言われた)

もちろん、僕とおなじ考え方の人が増えればなんてことは言わないよ。言わないのだけれどさ。人間同士で会話してるはずなのに孤独を感じることも事実なわけで。まあ、ちょっとだけさみしいよな。


否定されないだけ、全然いいんだけれどね。

なにが言いたいかというと、前述のリアクションを取られすぎると、やわらかい部分が壊れそうになるので。世界の解像度を高めようとする人となるべく行動するように心がけている、ということ。

相手の悪意あるなしにかかわらず、肩がぶつかりそうだと思ったならよけましょう。これ、僕の持論ね。

ちなみに、自分とちがう系統の価値観持ちだろうと楽しければなかよくするので結構ガバガバです。


退勤してから電車乗り換えであたふたしながら、やっとこさで帰宅。

後、要件の相談、業務連絡、コインランドリーに行って、英語しゃべって。

気づいたら、スーツのままドミトリーでごはんも食べずにずーっとカタカタ カタカタやってた。ただ不思議と楽しくなってしまってるからどうしようもないよな。悪くないじゃん、人生。

こうやって寝食忘れるくらいに刺激に満ちあふれた時間を過ごせるよう、切に願うよ。


みんなはごはん食べような。



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