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自分と向き合う子どもたちに憧れた

自然体な生き方を考えるメディア『ソラミド』の編集部がお送りするnote。編集部員が考えたこと、感じていることを自由に書き記します。今回は編集部員の佐藤が担当。肩の力を抜いて、ゆるりとお読みください。

大学生の頃に、不登校児童支援のボランティアを行う部活に所属していた。「支援」とは言っても、ただ遊んでいただけだ。学校に行けない子どもたちの居場所となるように、とにかく楽しい場を提供しようと活動していた。

2ヶ月に1回ほど子どもたちと会う機会を作り、毎回何かしらのイベントを催した。春はお花見イベント、夏はキャンプイベント、秋は紅葉狩りイベント、冬はクリスマス・正月イベント。公園や公民館、ときには教育委員会に協力してもらって廃校を貸し切ってイベントを行うこともあった。

小学生から高校生までの子どもたちが、毎回のイベントに20名ほど参加する。イベント中、子どもたちは好きなことをして過ごしていい。ゲームを一日中する子もいれば、ずっと本を読んでいる子もいる。部員が中心となって行う催し物に参加してもいい。誰にも干渉されず、自分が行いたいことができる、自由な時間を各々が過ごしていた。

子どもたちが遊んでいる姿を見ていると、とても不登校であるようには思えなかった。普通に学校に行き、普通に勉強をして、普通に友だちと遊ぶ。どこにでもいる子どもにしか見えなかった。でもそれぞれが悩みを抱えている。どんな悩みなのか教えてもらうことはあまりなかったが、家族や友だち、勉強、自分のことなどなど、何かしらに違和感を抱き、苦しんでいた。学校に直接関わることじゃなくても、それが原因で不登校になっていた。

当人たちは苦しんでいるのだから、あまりよくないのかもしれない。けれど、そんな子どもたちに対して、憧れを抱いていたことがある。大学生のぼくよりも自分を大切に生きているような気がしたからだ。

ぼくは不登校になったことはない。だが、不登校になりたいと思ったことは何度かある。勉強も友だち関係も家族関係も、ほとんどが上手くいっていなくて、学校に行きたくなかった。自分の部屋で一日中ゲームをしていたかった。けれど、学校は行かなければ行けない場所だと思いこんでいたので、無理やり行っていた。嫌すぎて、学校に行く準備をしていると、胃がキリキリと傷むこともあった。学校の窓際から空を見つめ、鳥になって自由にどこかへ行けたらなんて妄想していた。学校は逃げることができない監獄だとすら思っていたこともあった。

もちろん不登校の子どもたちの中には、学校に行きたくても行けない子もいる。だからみんながみんな自分の気持ちを大切にした結果、不登校を選んだかというと、そうではない。ただ当たり前のように行かなければ行けない場所だと思いこんでいた自分と比べると、ものすごく自分と向き合っていた子どもばかりだった気がする。自分はどうしたいのか、何がしたくないのかと。

大学を卒業し10年近く経ったいまでも、子どもたちのことを思い出すことがある。現在はどんなふうに過ごしているのだろう。不登校であったことで、何かしらの悪影響もあるかもしれない。一方で、良かったと思えていることもあればとても嬉しい。

だってそれは、自分と向き合って出した結論なのだから。大人や社会の常識にとらわれず、自分の意思で決めた勇気をぼくはすごいと思う。

こうして子どもたちのことについて書いていたら、ふと思い浮かんだことがある。自然体に生きるためには、もしかしたら何かしらの勇気が必要なのかもしれない。

(執筆:佐藤純平)

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