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そしてパパになる

2017年、大学3年の冬。

同棲中の彼女から妊娠したことを告げられた時、最初に口にした言葉を今でも思い出せずにいる。ただ彼女の表情だけは絵にかけるほど鮮明に覚えている。喜びと決意、そして恐れがごちゃ混ぜになった顔。涙でいっぱいになった目。

僕は自分の体が情けなく震えているのを誤魔化すように、彼女を抱きしめて言葉を探した。そこで記憶は霞がかったようにぼやける。

ーー

彼女との出会いは同じ年の春。ツアーカメラマンのアルバイトで長期滞在していたスイスのグリンデルワルドで出会った。僕は20歳になったばかりで、彼女は27歳。共通点は「日本人のシーズンワーカー」というだけ(彼女はハイキングガイド)。それでも僕らは出会ってすぐに意気投合し、気心知れる友人になった。よく笑う人だな、というのが第一印象だった。

当時彼女には婚約者がいた。あくまで「故郷から遠く離れたところで出来た友人」であることが関係性の上限だと頭では理解していた。ただ、数ヶ月のスイス滞在の間、度重なる偶然や、ちょっとした出来事の積み重ねで、いつの間にか彼女にをしていた。その事実に気づいて、ずいぶん頭を抱えたものだ。

何度目かのデート、シャーロックホームズがモリアーティ教授ともみくちゃに抱き合って落ちた滝壺がある街のレストランで、プロポーズした。彼女は食事の手を止め、しばらく考え込むように黙り込み、静かにうなずいた。

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僕が日本に帰ってからおよそ1ヶ月後に、彼女は帰国した。実家がある大阪には帰らず、そのまま僕が住む茗荷谷の1Lマンションに転がり込んできてくれた。一人暮らしも未経験の彼女が突然「婚約者とは別れた。日本人の彼氏(しかも大学生)と東京に住む」と言った時、彼女の両親はさぞ驚いたことだろう。

何をしても体がぶつかってしまうほど狭い部屋での共同生活。元々気が合う仲だからか何の気苦労も無かった。特にルールを決めずとも、自然に家事は分担されていた。

当時、僕はバイトを3つ掛け持ちしていた。昼は銀座の出版社で主婦層向けの雑誌を編集している部署のアシスタント。夕方から深夜までは後楽園にあるパブのホール。少し仮眠をとって、早朝から午前中いっぱいはレンタルDVD店のスタッフとして働いた。大学の単位は大方取り終えていたし、「アメリカの大学院で映画の勉強がしたい」という漠然とした夢のため、ただ無心にお金を稼いでいた。

彼女は持ち前の語学力と金融/旅客事業での経験を活かし、ネット広告事業を中心としたベンチャーで、新たに始まった民泊業を取り扱う部署に勤めていた。この頃はお互いかなり忙しかったはずだが、新作の映画や舞台を観に行ったり、近所のレストランを巡ったりと、いつも一緒にいたような気がしている。

文京区区役所で入籍届を出した時、あまりの呆気なさにふたりで思わず大笑いして、そばにいた警備員に怪訝そうな表情で見送られたのを覚えている。

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ひだまりの中に裸でいるような、気恥ずかしくて幸せな日々はあっという間に過ぎ去った。

プロポーズした時、既に父親になる覚悟はしていたはずなのに、いざそう告げられると不安にならざるをえなかった。甘美で曖昧だった未来が、突然はっきりとした形を持ったことに動揺した。

もちろん「産もう、ふたりで育てよう」といった結論になったのだけれど、あの日彼女にかけた言葉を思い出せないのは、おそらく心がどこか別の場所にあったからだろう。

それから数日間は自問自答することが増えた。「自分は良き父親になれるか」「全てを捧げる覚悟はあるか」「周囲を気にせずにいられるか」どれも自分勝手な内容ばかりで、どの問いかけに対しても確かな答えを持てずにいた。

彼女はそれ以降、妊娠の話題を出すことはなかった。ふたりの結論は出ていたはずなのに、日に日に確信を持てなくなった。誰に相談することもせず、バイトや授業の最中も一人で考え込んでは答えを探していた。

ふと、恩師との会話を思い出した。

「お前はいつか必ず良い父親になれる」
「先生、また適当なことを言って。どうして僕は良いに父親になれるんですか?」
「どうしてって、私を信じられないのかい?」

恩師は明治大学特任教授のJ.B先生。

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彼はアメリカ出身で若くして来日し、僕が知りうる限り誰よりも知識と教養を持つ方。奥さんを早くに亡くし、息子を男手一つで育て上げた愛情深い人。そしてどうしてか、毎月のように一緒に酒を飲む不思議な間柄。そんな彼が、随分前に突然かけてくれた言葉を思い出して、びっくりするほど肩の力が抜けた。ここ数日の自分が、根本的に間違っていたことにようやく気づけた。


妊娠を告げられてから1週間たった日の夜。

僕は彼女に「これから生まれてくる子の父親になれることへの感謝の思い」をまとまりなく、とりとめもなく伝えた。

とにかくお礼が言いたかった。誰よりも不安だったはずの彼女が、7つも年下で、一介の学生で、何の実績も能力もない僕を信じてくれたことに対して。

この数日間、彼女がどれほど苦しかったか、怖かったか、そのことにすぐ気づけなかった不甲斐なさを詫びたかった。自分のことばかり考えていたことがたまらなく恥ずかしかった。情けなかった。

黙って話を聞いていた彼女が、最後に大きく息をつき、満面の笑顔で「良かったあ」と言った。あの瞬間、僕はパパになれたのだと勝手に思っている。

読んでくださりありがとうございました。

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patersora
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