立ちどまる時間
まるで子どものように、突然の発熱。
なんだかだるいなぁと目覚めた朝、いつも通り子どものお弁当作りと、自分の通学の準備をしようと動くけれども、すぐ立ち止まる。ベットに少し休む。これを数回繰り返し、念のためにと体温計で測ってみたら38℃。きついはずだ。夫にバトンタッチしてお弁当作りをお願いする。布団にもぐり込む。学校は当然休むことになる。なんにもしない、なんにもできない。気がつけば夕方。トイレに行く以外はずっと布団の中。身体はガチガチに傷んでるけど、ストレッチする元気はない。すべてをあきらめて、また眠る。
翌朝、まだ微熱がある。だるい。お灸で養生してみようかと頭をよぎるけれど、そんな元気もない。また布団に入る。また眠る。午後までコンコンと眠り続ける。まもなく熱は下がり出したものの、激しい咳と鼻水で息が苦しい。喉も痛む。食欲は落ち、常に重い頭痛がつきまとう。タチが悪い。
次の翌朝、どうしても出かけなければならない用があり、這うようにして外出。熱は下がったのに、パフォーマンスは著しく落ちておりヨロヨロしている。声もハリがない。少しでも大きな声を出せば咳き込む。これはおそらく長引く風邪だろう。身体の免疫も下がっていたのかもしれない。こうやって思うように身体が動けなくなったとき、自分の身体に申し訳ない気持ちが芽生えてきた。
数年前、私は乳がんを患った。術後、女性ホルモンの侵食を抑えるタモキシフェンという薬を飲むようになった。副作用の程度はさまざまなようだが、私は著しくひどかった。自律神経も乱れに乱れ、コンディションは日々最悪。それまでは持ち前の気力でなんとかなっていたのに。どうにかなっていたものが叶わなくなったと知ったとき、私は観念して身体を整えることにシフトした。身体が動かなくなると、パタリといろんなことができなくなる恐怖を味わった。長い時間をかけて養生しながらの今じゃないか。あのとき「あぁ、もっと自分の身体を大切にしておけばよかった」、と後悔したじゃないか。時間をかけて回復し、日常生活が当たり前に送れるようになった今、かつてのように自分の身体を気にかけることができていただろうか?
ヨロヨロしながら、そんなことを悶々と考える。ごめんね、私の身体よ。もう少していねいに向き合うはずだったのに。頭でっかちになり、思考や感情ばかりに振り回されていたのかもしれない。日々のやることに追われ、身体をなおざりにしていたという結論に至り猛省。自分への戒めにnoteを綴っている。灯台下暗し。日々の当たり前をていねいに見つめ直して行こうと誓う。まずは温かい生姜茶でもいただこう。
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