人生の落とし穴に入った時
あまりにも辛い状況、しんどい状況が重なり合いもつれ合い複雑な状況に陥ることは誰にでも経験のあることかもしれません。
自分の想像の範囲を超えてしまった時、現実で処理しきれない時人はスピリチュアルや占いなどに頼ることもあるかもしれません。だけど確実な突破口となることに出会うことは少ないのではないかと感じます。
私自身もしんどいことが重なったとき、「呪われているのかな?」と思って知り合いから紹介された占いに行ったことがあります。占いは当たっていることもあるんだと思います。だけど「こうだからこうなる」とか原因があって結果があるといった感じで伝えられても、「どうしようもないじゃん」ということがほとんどです。
また何かアドバイスをもらっても、私は疑り深いため「本当かな?」とか「どう検証して来たんだろうか?」「特別な能力といったらすごいんだろうけれど、その目線を共有できないと信じきれないなあ」と感じ実践しきれないことも多々あります。楽しんで心底信じてできるなら違うのかもしれませんが、私は理屈っぽいところがあるので難しいことでした。気休め程度の「いいこと起きたらラッキー」と思えるなら器が大きいのか、そもそも大したことがないのかのどちらかだと感じます。
ブラックホールの研究など近いのでしょうか?私は門外漢なのでうろ覚えの適当なことを言いますが。
何もなさそうな空間でも重力のあり方が他と違うとわかるので「ここに何かある」ということを学者たちは計算式で表そうとしたり実際に探査機を飛ばしてデータを収集したり、仮説に基づいて検証をしていくのですよね。
当てずっぽうで「見えないけどよくわかんないけどブラックホールあるんだわ」などとは言わないのです。誰が計算しても同じ結果。何度行っても同じ実証ができる。そういうことで再現性と信憑性が増すのです。もちろん現代の科学ではまだわからないこともたくさんあります。なので様々な可能性はありますし、特殊な能力というのもあるでしょう。納得行くならそれもよし。
だけど私は「こうだよ」と原因がわかることよりも、どっちにいきたいのか、どうなりたいかをはっきりさせていくほうがいいのかなと感じます。その方向へ向けて行動していくしかないと思うのです。自分にとってできる行動を続けていくことが自分の未来を作ると思うのです。
辛い状況に陥ると視野が狭くなるので、自分だけが陥っている状況だと思いがちです。だけど出来事や体験はその人独自のものであってもその大きく俯瞰した構造体は実は多くの人が経験しうるものかもしれません。
何が言いたいかというと、共通の構造が存在するならばそれを解決する策というのが必ず存在すると思うのです。先人たちが築きあげて来たものがあるはずです。困っている時は何に頼ればいいのか、どれが効果的なのかはわからなくなっていることも多くあるでしょう。その時はまず落ち着く、安心を確保するために行動をすることが大事です。
その後で自分がどうなっていきたいのかおぼろげながらも価値基準に従ってビジョンを掲げる。自分にあう方法を見つけ、ビジョンに近づくための方法を試していくしかないのだと私は思います。
一度でいろんなものが劇的に、魔法のように解決したらいいなあともうことはたくさんあります。だけど物理的な法則を無視して何かができてしまったらそれはどこか反動が起きそうです。ちょっとずつ馴染ませるように行動するからこそ自分にあった変化と変容が起こせるのではないでしょうか?
自分の内側を自分で整えて、自分の思い込みを外しながら行動していくことで次の手が見えて来ます。これを繰り返すことでより良い人生が育まれていくのではないかと私は思います。
こうした自分ごとの人生を自分で作り上げていることができるって、とても素晴らしいことだと思います。