小さな世界大きな世界 複雑に隣接と重なり
駅までの道のりの中で、ふと大きな鉢植えに目が止まった。
小さな濃いピンクの花が無数に咲いていて、
あたかも小さな花畑のようだった。
寄せ植えだったので背の低いグリーンと背の高い花のコントラストも映えていた。
そこに小さな蝶がヒラヒラと飛び回っていた。
ふと、蝶の目線から見たらあの大きな鉢植えが世界そのものなのだろうな。
もしかしたらあの鉢植えだけで完結するのかもしれない。
だとしたらそれは蝶にとっての世界の全てなんだ。
じゃあ私とっての世界ってなんだろうと
またふと思った。
情報を得て理解できるから地球という惑星に住んでいて、日本という国に住んでいると言うことはわかる。
だけど私と言う生き物にっての世界ってどう言うものなんだろうととても気になった。
蝶の話に戻ると、その生き物である蝶にとって重要なものが目に入ってるはず。
花、植物。
私たち人間は大きすぎて目に入ってないかもしれない。
通り過ぎる風のようなものかも。
その生物にとって大事なものが認知されて強調されるのだとすれば
私は何を大切にして、何が目に入るのだろうか。
すれ違う人たち一人一人大切なものがある。
大切な価値観がある。
それによって見えるもの、行動が変わってくるのだ。
全く同じ世界に住んでいるけれど
実はそれぞれの世界に住んでるとも言える。小さな世界がそれぞれあり、時には重なり、時には接地し時には眺められる距離だったりする。
時には見えていても関わり合わないことだってある。
そう考えると、何か共にいる人たちってとても得難いギフトのように思えた。
私は今いくつかの仕事に関わっている。
業務としては千差万別。
コンサル、コーチ、コンテンツメーカー、リーダー、様々な知見を集めるバイヤー的な要素、ファシリテーターなどなど。他にもたくさんある。
仕事だけ見るとてんでバラバラ。
ただ、私が今大事にしているのは価値観で
それは自己成長とともに他者とも成長し合うということ。
その価値観によってバラバラに見える仕事は私という上位概念によって統合されている。
こうした価値観という眼鏡を通して私は世界を見て、
出会った人たちと関わりながら何かを表そうとしている。
とても抽象的なものだけど、私はそれを追い求め具体化の得意な仲間たちがそれを具体に落としたり関わり合いながら知らぬうちに助け合いながら仕事をしている。
一人一人違う存在、違うあり方、違う価値観。
それが無理なく発揮されていることは
その人の最大の世界を展開しているのだ。
そしてそのような人たちが関わり合う時に、一人ではたどり着けない大きなものが見えてくる。
蝶のように自身の価値観に従って
無理なく飛び回る時一人一人のの景色が像を結ぶのだろう
感覚に従って心地良さの中で動く時
軽やかでスムーズな流れに乗る。
私は軽やかなそんな一人一人のあり方を見たいし、そうなれる技術を知ってほしいし、拡張や成長を実感して等身大のチャレンジを続けていってほしいなと思う。
そして、自分らしさを発揮している価値観が合う人たちとそれぞれの異なる能力を生かしあってさらに世界を素敵なものにしていってほしいなと思う。