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【短編小説】くだらない軋み

自分が気にしすぎただけなんだろうか?

「ごめん、今日遅くなる」

さっき妻から来た連絡だった。たった1行のその文章が、自分を小さく包み込んで、突き放す。脱力感が体を襲う。どうでもよくなってしまう。今日が記念日だということも。リビングにある、丸い3人座れるテーブルには、今できたばかりのパスタがあった。ひき肉とトマト缶を買ってきて、ソースを作った。湯気が出ている。幸せの象徴みたいだった。今からこの湯気は、放置されて、ゆるゆると消えてなくなっていく。

今日は、お互い早く仕事を終わらせようねと言っていたはずではなかったか。大切な仕事が特にないから、絶対すぐ帰ってくるねと妻は言っていなかったか。その言葉を真に受けたから、妻が帰ってくる時間を狙って、自分は晩御飯を用意していたはずだった。妻の職場は、この自宅から歩いて、15分ほどの場所だった。定時で終わっていれば、とっくに帰ってきている時間だった。

自分は今日、リモートワークだった。だから、少しそわそわしながら、妻の喜んだ顔を想像しながら、ご飯を作ったのだった。

妻が悪くないのはよくわかる。わかっているけれど、それだけでは片付けられない感情が目の前に転がっている。それがどういったものなのか、今は説明ができそうにない。自分はこんなにわがままだっただろうか。小学生の子供みたいに、今日は早く帰ってくるはずだったじゃない、と怒るつもりはない。そんな人と、自分だって一緒にいたくはないから。だけど、そうしたら、今こんな気持ちになってしまっている自分をどう説明しようか?

力を振り絞って、「あとどれくらいかかりそう?」と返信した。10分ほどしてスマホが小さく震えた。

「あと1時間ぐらいはかかりそう。ご飯とかシャワーとか好きにしてもらってていいから。本当にごめん。もし待っててくれそうなら、こっちが終わったら連絡するから、外で一緒に食べてもいいけどね」

その返信に返事が返せないまま、もう1人の自分が、ほら、謝ってくれてるじゃん。と肩を叩く。その手をはねのける。
知らないよ。そんなこと。謝ってくれたら、謝ったら、何をしてもいいのかよ?知らなかったら、伝えなかったこちらが悪くなってしまうのかよ。そもそも最初の約束を破ったのはこっちではないのに?

妻は時折、こういううち捨てられたような鈍さを発揮する時があった。前に、似たような状況で、でもちゃんと事前にご飯を作っているから、仕事が終わったらそのまま帰ってきて、と言ったことがあった。帰ってきた妻の手には、コンビニの惣菜がにぎられていた。よくよく聞くと、「なにか副菜があったほうがいいかなと思ったから」と言われた。自分の料理は、はじめから、見る前から「足りない」とレッテルを貼られたのだった。そんなつもりない、と、妻はきっと言うんだろう。それが分かってるからこちらも何も言わない。そうだよな。悪気はないんだもんな。


女々しくうなだれてしまっている自分が情けなかった。サプライズで、晩御飯用意してるんだよ。と言い出せない自分が本当に嫌いだ。
なぜ自分は、ここまで拘泥しているのか。2人で大切にしているはずのものは、もしかしたら自分だけが大切にしていて、相手にとって、実はそうではなかったと突きつけられたように感じているからなのか。ただ約束を破られたショックなのか。わからない。

震える手で返信した。
途中まで打っていた文字を、悩んで、やっぱり全部消した。改めてもう一度、全く違う文章を入力する。

「じゃあ、待ってるから外に食べに行こうか?前から気になってたレストラン、試しに電話してみるよ」

そうして、スパゲッティをゴミ袋の中に入れた。



おわり

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