
お雛様を飾って桃の節句を待つ
節分が終わった立春の朝、お雛様を飾るのが楽しみである。
今年は簡単に済んだ。娘が生まれた時に実家から贈られた大きな雛人形を供養し、木箱に収まった小さな鳴子こけしの内裏雛を新たに買ったのだ。
私のお雛様は、初節句に祖母が見立ててくれた。戦前まで節句人形の問屋を切り盛りしていた祖母は、雛人形には一家言あったらしい。かつて取引があった吉徳で買い求めてきたとのことである。戦後まだ闇市が残っているような時代で、食べるのも大変な頃だったのに、と母が思い出してはこぼしていた。
祖母は、立春の午前中に雛壇を組み立て、たくさんの箱から薄紙に包まれた雛人形を出して両手で包んで丁寧に飾っていた。
雛祭りが終わるとすぐの天気の良い日に、ひな壇からおろした人形を毛ばたきでそっと払い、また薄紙に包んでしまう。「雛祭りが終わったらすぐにしまわんと、行き遅れるのや」
今どき、お雛様をすぐにしまわないと行き遅れるなどと言うと迷信だと思われるだろうし、行き遅れと言う言葉もとんと聞かない。だが、三つ子の魂百まで。いつまでもお雛様を飾ったままにしてある家を見ると、なんだか無精な感じがしたものだ。
祖母は毎年一人でそれをやり、私はその1日仕事をそばに座って眺めていた。少し大きくなると、手伝いながら飾り方を教えてもらった。時間の流れは緩やかだった。
桃の節句、お内裏さま、桜橘、ひなあられ。それぞれが優しい思い出につながって切なくなるのは、温かい小さな空間にだけ暮らしていた子ども時代への郷愁だろうか。
祖母の選んだお雛様は京雛で、細い吊り目で口元も小さく衣装の色目も重々しかった。夜にお雛様を飾ってある部屋に行くのは怖かった。近所のふみちゃんの家の雛人形はガラスケースに入った華やかな衣装の15人飾りで、お顔も丸顔で可愛らしく、羨ましかった。自分のお雛様の良さがわかったのはだいぶ大人になってからだ。
娘たち、女の子の孫には、それぞれ新しい雛人形を揃えた。
孫のお雛様は、娘の要望で重箱に段飾りが全て収まった小倉三郎の組み木細工である。
孫は小さいうちから自分で組み木のお雛様を重箱から出し、組み立てていた。時々は組み木を崩して積み木のように遊んでいた。その様子を眺めながら、彼女に甘やかな思い出が残ることを願った。孫は、我が家へ来ると母のものだった重厚な雛人形を羨ましがって、うちに持って行きたいとねだっていたが、ここで見ればいいじゃないと却下されていた。歳をとって雛人形を出すのが億劫になり始めていたので、大歓迎だったのだが。
伝統工芸を扱う店で見つけた三代目の雛人形は、両手で包み込めるくらい小さなものだ。自分にとって最後になるだろう雛人形を祖母のように優しく木箱から出し心を込めて飾った。