うちの事例:「目的的」な行動とは?
3行サマリー
得意な事への「目的的」な行動
誰でもそうだと思いますが、得意な事なら「目的的」な行動により目標達成をしていくもんだと思います。
うちの中2のむすこは好きなことなら特にそれを発揮するタイプのようです。
それは「スポーツ(サッカー)」なのですが、
それに向けてのモチベーションは相当なもので諦めずに努力ができる目的意識には親であるぼくが見てても感心してしまいます。
例えば、いつまでに体を作って、いつまでに何回技が出来るようになれて、いつまでどんだけ走れるようにして、試合で結果を出す。
そんな感じで細かくタスクを設定してそれをぼくに言ってきます。
かと言って、最終的な目標に固執しすぎることもなくて、だめなら次に「違うやり方でやってみる」と言っていることを聞くこともあって、くよくよせずに柔軟に対応出きていることに、我が子ながら尊敬してしまうところもあります。
それだけ、得意なことなら自信があるからかなー
不得意な事への「目的的」な行動
一方不得意なことと言えば「勉強です。
例えば、学習の「目的」が「課題提出」だったりで、力技で何とかなることは随分と嫌がらずに出来るようになりました。
それによって、通知表の評価が思ったよりもよかったりするので、当初「嫌だ嫌だ」と言っていたことが克服できて自信につながりかけてきたと思います。
但し、「目的」が「目的」になっている「目的的」であるために、せっかく課題を完了させるために時間や体力を費やしても学力として身につける事に期待はできません。
ディスレクシア特性のむすこには学習についてはひたすら精神的な負担や自信を無くさせないように小学生から中1にかけて改善するように努めてきたつもりですが、それも限界があります。
従って、不得意な事を過度にやらせるってことよりも、得意な事を「自分」でやれるようになるようように、見守りの体制を現在行なっているのであります。
別に諦めた訳ではありません。
いつか本人が必要にした時にって意味です。
もう親の出る幕ではない。他人を頼ることが大事です。
それでも、困ったこともあるでしょうから、その時に相談があれば親に言ってもらいたい。
でも、基本的にはできるだけ現場の先生等、外部の人に助けをもらうようにして、ぼくはあまり全面的には出ないように心がけています。
親がやれることは金ぐらいのつもりでいます。
親なんて本当に出来ることなんか限られてるし、やれるとしたらお金ぐらいですかね。
不得意なことを克服することは、簡単ではありませんが、その過程で得られるものは大きいと言えるでしょう。しかし、無理のない範囲で、自分に合った方法で取り組むことが大切なんじゃないかなと思っております。