無意味の中にある意味②
思考停止状態だった私が16年の歳月を経て、なんとかその状態から脱することができたのは、それまで自分が常識だと思っていたことがことごとく覆され、新しいデータに書き換えられたからだ。
約5年程までは、衝動的に行動する自身を一旦止め、損することなのか得することなのかイチイチ考えて行動に移すように心がけていたこともあったのだが、いつぐらい頃からだっただろうか? その衝動性を使い、損得を考えず、より能動的に行動してみることにした。まぁ、それで「バカ」をみたこともあったのだけれど、自己啓発界隈や心理学方面でよく聞く「トライ&エラー」を繰り返し積み重ねたことで、結果的には得たことは大きかったなぁと今現在は思っている。
ただ、それらを試みていた最中は、自身が「バカ」をみてるように感じたり、思春期の頃から孤独を感じてはいたものの、誰も信じられない状況に落ちいり、半分ひきこもり状態に陥った時に読んだ著書の中の一冊が「バカの壁」だった。
著書は一通り読み終えたのだが、正直言うと、著書の中で気持ちいいくらいの衝撃を受け覚えていることは実は2点だけ(苦笑) 著書の冒頭で、〝解剖する時、何を調べるのか自分でゼロから考える〟といったような内容と〝数式を交えた〟話だ。私は数字に弱いけれども、そんな私でも養老氏の数式を交えた脳みその話は、おバカな私でも受け取りやすかったのは確か(笑)。 あっそうだ!他にもう一つ覚えている話があった。脳神経は思考をすることでも〝運動〟していることになるということにも驚いた。
〝運動〟といえば身体を動かすことだと思っていたけれど、神経も細胞だもの。そうなら神経にとっても〝運動〟にはなるよなぁって思い、思考を廻らすことは決して悪いことでもないのかもしれないと思うことにいたったのだった。
無意味の中にある意味③へつづく
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