あれから5年‐やまゆり園事件を通して思うこと④‐
※自分史を仕上げる前に『やまゆり園』の事件を通して感じている記事を数回に分けて綴りたいと思います。本日は4回目。
やまゆり園事件の講演会へ参加し、事件に関する様々な話を聞いていると、〝優生思想〟の素質というかそういった〝思想〟が全くゼロではなく、私にも少くなからず〝ある〟と思うことになっている。それでも、その人が生まれながら持って生まれた〝思想(モノ)〟と世間一般的にいわれている〝優生思想〟はちょっと違うと私は感じている。
このことは、あくまで、これは主観的な意見になるので、個人的見解として読み流してもらえたらと思う。
1つのモノ事に囚われ、偏りやすいことは、生まれ持ったものだったとしても、それらは、育っていく環境の中で関わる人によっては、変わっていくものだし、もし、元々そういった価値観に偏りやすい性質を持っていたとしても、それらの向く方向性は〝殺人〟といった形での〝自己表現〟又は〝自己実現〟は計らずとも、現代なのだからこそ、別の形でも〝先駆者〟にはなれると思う。
なぜ、わざわざ、ネガティブなことで〝承認欲求〟を満たしたり、又は〝自己実現〟を遂げようとするのだろうか? もしかしたら、ただの〝親子間〟や〝職場〟又は〝友だち〟などの不具合だけで済んだけのことが、社会的な問題をも巻き込みながら〝犠牲者〟を出すことを選んでしまったのだろう…?
正直〝誰得なんだ?〟と思うのだ。犯罪はハッキリいって誰も得はしない。〝泡〟みたいなものだ。 たとえ、暴力や殺人未遂事件のような犯罪ではなかったとしても、加害者にとっては自身が感じている〝痛み〟や〝時間〟を一瞬の快楽や憎悪を振り払うために行っているだけに過ぎないように思う。
しかも、戦前戦後とは違い、ある程度の経済成長を経て、モノに溢れ、有り余っている現代で、なぜ、ネガティブな方法で、しかも残忍な〝自己表現〟をせざるを得なかったのだろうかが私には不思議でならない。
ただ、西鉄バスジャック事件の犯人と同様【あれから5年‐やまゆり園事件を通して思うこと③‐】の記事の中にあるような、私の身の上に起きていたようなことが、植松死刑囚の身にも起きていたりしたんでのはないのだろうか? といったことを私は想像していて、彼が加害者になってしまうまでには、何等かの〝被害者〟でもあったのではなかろうか?と思うことがあるからだ。
私は、Twitterも利用しており、今年で12年目になる。気になる事件などは、以前から記事を読むようにしていた。こと〝やまゆり園事件〟のことは、他人事とは思えないので、TLにやまゆり園事件関連の記事をみつけたり、時々ネットで検索してどんな小さな記事でも読んできた。そして、最近になり、事件当初には語られてなかった植松死刑囚が当時働いていた施設で本人が書いた始末書や日誌などの一部が記載された内容を読むことができた。その記事には施設内で起きた出来事に対して自分なりに対応をし、それらを報告されていた内容だった。
そして、記事の内容を読む限りは、そんなにおかしな対応をしていたわけでもなく、本人なりに対応をし報告はできていたように思われる。それにあわせて、施設内で本人への待遇が不憫に思うような内容も記載されていたので、必ずしも本人だけの問題ではなかったように私は思うに至っている。
実は、私は1年程度になるが、高齢者の施設で〝清掃のパート〟をしていたことがある。後、知人や身内の中には看護師や介護施設で働いていた又は現在も働いている人たちもいることから、植松死刑囚が置かれていた立場はなんとなくわかる。
それに、我が家の場合には、子どもが施設入所をしていた時期もあり、他にも福祉施設に入所をしているので、利用者の立場でもあることから、一部の現場の支援者に対する不信感を持っていたことも少なからずはある。
ただ、施設入所を頼らざるを得ない立場の場合には、施設や支援者に対しての苦情を言いづらい時もある。そして、保護者や利用者の中には、植松死刑囚の中にあった〝優生思想〟を肯定してしまうような〝保護者〟や〝支援者〟又は〝利用者〟がいることも私は体感している。だからこそ、現場を知りそうせざるを得なかった彼の言わんとすることを紐解く必要があると思うのだ。
私が、老人介護施設で清掃の仕事に携わっていた時、清掃の担当だったのにも関わらず、介助をしなければならないような場面に何度も遭遇したことがある。その度に、どうその場を回避するのかは〝私の課題〟でもあった。何故なら、私は、自分の仕事以外のことまで〝やりすぎる〟体質だったからだ。介護の資格を持っている人たちより、気がつくこともあることで、場をかき乱すことにならないように努めていた。それでも、口を出さざるを得ないことも多かった(苦笑)
清掃の仕事は、施設全部の清掃を行っていたので、利用者の方の部屋の清掃に入ることもあったことから、利用者の方と雑談することもあった。その雑談をする中で利用者の方を窘めることもあった。利用者の方の中には、身体介助を求められてこられる方もいらっしゃったので、その度に〝自分は介護できる立場ではない〟と断わり、看護師や介護士の方を呼んだり、利用者の人に待ってもらうようにしてその場をしのいでいた。
人手不足なことが明確にわかっていても、必要最低限な見守りや歩行時の介助などしか手伝ったことがない。なぜなら、介護の場面でどこまで、手伝っていいのかを、私は知っていたからだ。わからなくなった時は、母がヘルパーの資格を持っていて、母もまた介護施設で働いていたこともあるので、母に相談したりしていて、自身の考えが間違ってないことを確認していた。
与えられた仕事は〝清掃〟なのに、それ以外の介護をすることは、基本的に法律違反だったりすることもあるのだが、それがまかり通っていたりする施設もある。むしろ、職員の中には、手伝わない方が〝悪〟的なことを思う人だっている。
人の命を預かる現場だからこそ、基本的なことを学んでいない人が、手を差し伸べることで〝人災〟が起こることもある。私は用心深いほうだし、腰痛持ちでぎっくり腰をしやすい体質なこともあり、身体介助はなるだけしないようにしていた。
身体介助で一番厄介なのは、よかれと思い介助しようとして、一緒に転倒したり、又は転倒させてしまうこともあるからだ。
利用者の方自身の身体が動かしづらいからこそ、簡単に動かせるような動作でも、本人の思わぬ時に、バランスが崩れてしまう。それを見越して、支援する側も、バランスをとりながら介助しなければならならい。簡単なように思うが身体介助は意外に難しいことだったりする。
そして、介助する側も一緒に転倒し、ケガをしたら元も子もない。特に寝たきりの方の身体介助の場合、余計な力が入ることで皮膚が傷ついてしまうこともあるということも、介護の資格を持っている身内や知人に聞いて知っていたからでもあるからだが、私は医療系の漫画など読んで知っていたから尚更気をつけて身体介助は行わないように徹底していた。
認知機能が落ちていらっしゃていたりする場合には、利用者の方にお願いをされたからといって安易に応えてはいけないこともある。そのための〝申し送り〟ということで現場では情報を共有するし、ケース会議などもあるはずなのだが、施設の環境によっては、安易な体制の中で必要最低限に満たないことだけで対応している又はせざるを得ない現場もある。
それは、どんなに現場を仕切る人が〝できる上司〟であっても、現場の1人1人が同じ意識で働けているかどうかになるのだが、過酷な現場で同じ意識をもち仕事するなんて、そんなに簡単なことではないよなぁということを傍からみて感じていた。それは、介護や医療などの現場以外の仕事でも同じだと思う。
それとは別に、私が実際に、介護の現場で働いていて〝疑心暗鬼〟になったことが幾度となくあった。その度に上司に相談したり、現場の職員と直接やりあったこともある。悔しい思いをしたり、意地悪をされているのかと思う匂わせ芸なことは何度もあった。
それはどんなことかというと…
清掃道具を置く場所は一応建物ごとに決まっていた。その場所には掃除道具だけではなく〝ポータブルのトイレ〟もおいてあった。掃除道具をとるためには、そのポータブルのトイレの横を通らないと取り出すことができなかった。私は足元をよくみてなくて知らず知らずのうちにケガをしてしまうことが多いので、狭い場所に入る時などはなるだけケガをしないように周辺や足元などの1度確認をして、自分がケガをしないようにその部屋に入るようにしていた。
ある日、その場所に置かれているポータブルトイレの器具の一部が、時折、足元にぶつかる位置に突出している時があった。初めての時は、そんなことはたまにあると思ったので、何度かは目をつぶっていた。ただ、何度もそういったことが度重なると、わざとじゃないかと思うようになるのは私だけじゃないような気がする。その悪戯のターゲットが私だったのかもしれないし、別のひとだったのかもしれないのだが、私が清掃の担当だったこともあり、自分がターゲットのように思い込んでしまうことになった。意地悪ではなく、ただの気が利かないただのドジな人がやっていたことだと思いたい。
あと、介護職員が利用者の部屋の個室のトイレ掃除をするのも決まっていたが、私が清掃に入る日は、人によっては利用者の部屋のトイレチェックをすることもなく、チェックしても掃除をしない人もいた。
排せつの介助後、トイレの便も流さず掃除もせずそのまま放置されていることも何度かあった。私よりずいぶん若い人だったのに、忘れやすい人だったのだろうか? それとも夜勤明けで大変だったのかな? と思うようなこともあった。
ただ、そういった新入社員への洗礼のようなことは、どんな職場でもあることだと、益城病院の精神科の看護師さんに教えてもらったことがあったので、私は、気にしないということでおさめる時もあった。後は、自己啓発系やスピリチャル系の人たちに教えてもらったポジティブなお呪い「うんこだから運がつく」的なことで、やり過ごしていたこともある(遠い目)
悪意のないただの〝物忘れ〟で気の利かない人の行動だったとしても、そういったことが、自分の時だけに続けば、悪意を感じてしまうと思うのだが、それも全部〝気のせい〟だったのだろうか?
ただ、そういったことが、月1ではなく、週に何度もあったので、さすがに、鈍感な私でも〝疑心暗鬼〟になりはじめることになった。
その頃から、仕事以外のこともメモを取っておくようにした。それは、私がその日にしたことを記録しておくためと【忘れる体質】だったこともあることからだったのだが、自分を守るためにもなった。その勤務先で使っていたメモ帳や勤務表は捨てずに今も持っている。それくらい、おかしな出来事が起きていた。
(※些細なことになるが、他の奇妙な出来事は次の通りだ…ワン・トゥー・スリー☛)
利用者の方の部屋のトイレのブラシの中に仕込まれていたような生きたゴキブリがはいっていたり、職員が利用するトイレにもゴキブリがいたことがある。正直言って、その建物にゴキブリが出ること事態、それは別問題が発生しているのだが、あえて言わなかった。
私は虫にはいたって平気なので、ゴキブリだって蜘蛛だって、道具を使えば捕獲できる。〝きゃー〟なんていいうことなく、殿方に頼ることもなく真顔で対峙できる。
他には、利用者の家族の方から切花ではなく植木鉢の花などをいただくこともあって、その花の水やりをお願いされた時は、次の日花が枯れてしまったことがあった。そういうことが何度かあったので、不思議に思いネットで調べたこともあった。
農薬ではなく液体の肥料の濃度が高すぎたりしても花が枯れることを知った。もしかしたら、何らかの薬剤がジョウロに仕込んであり、それを知らずにジョウロに水をいれ、言われたとおりに花に水をあげてしまって、枯らしてしまうことになったのかもしれない…なんて、思って怖くなったこともあった。というか、そんなことでワザと植木の花を枯らすような同僚がいる現場の倫理観を疑った。
ある日は、会社のロッカーの鍵がなくなったこともあった。私は忘れる体質だったこともあるので、1度目は自分を疑うようにしている。それでも、普段から注意していたのにもかかわらず、確かにあった鍵がなくなってしまい自宅に戻ったら、思わぬ場所に落ちていたことがあった。その後、再度同じようなことが起き、自宅に戻ったら、1度目に鍵を失くした時と全く同じ場所で鍵がみつかったことがあった。手の込んだ〝デジャブ心理作戦〟かよと思ったのだが、どう考えても、私はただの一般人でただの人だ。だからこそ、そんな心理作戦で試される意味がわからなかった。あきらかに、私の記憶障害じゃなかったのだが、それを証明する術がない。それを証明するには、自宅に監視カメラをつけるほかなかったのだが、資金がなかったので、その後は自分に落ち度がないような対策を行う他なかった。
そして、今後の対策のために、上司に相談したこともあった。その時、それまでに起きていたことを全部上司に話し、施設内でのことだったので、お金がなるべくかからないような対策をしてもらうことにした。
その後にも、掃除道具を置く場所で、ポータブルトイレの器具がわざとのように出されていることがあり、私はそういうことがあることは知っているので、注意してるが、正直気分が悪いし、掃除道具の場所は私だけが出入りする場所ではないので、それにひっかかり職員がケガをしてしまうと、更に、人手の少ない現場が回らなくなると思うのだが、あえて、そうしたのだろうか? ただ、そういったことに気が回らない人がそんなことをしていたのだろうか?
トイレはウォシュレットタイプだったので、備え付けのリモコンの電池が立続けに切れ始めたことがあり、変えたばかりの部屋の電池がなぜかすぐ切れていたりすることもあったので、電池を変えた日を事務所で記載してもらうようにしたり、施設内のトイレのトイレットペーパーの予備を確認し補充したのに、休み明けに少なくなっている時もあったので、それからは、トイレットペーパーの補充した日を記載するようにもした。
中でも一番理不尽な思いをしたのは、施設の器具が壊れてしまっていたことを発見した時は、私が壊したわけではなかったのに、始末書を書かなければいけなかったことだ。
私の場合はモノだったのでまだちょっと〝プンスカ〟する程度で済んだが、それが対利用者だったならばゾッとする。
そのことで、元パートナーが介護施設で働いていた時に、始末書絡みで落ち込んでいた時のことを思い出した。彼は見た目とは違い、案外真面目な人だったからなのか、身体介助や排せつの介助をしている際、利用者の方の身体に傷を発見してしまうことが多く、発見した人が事故報告書を書くことになるのがとても嫌だといっていたことを思い出した。自分が起こしてしまったならともかく、発見しただけなのに、発見した人が事故を起こしてしまったようになる。それがとても〝嫌だ〟といっていた。
私の場合には、モノで済んだし、修理費などを払うことがなく済んだのだが、これが利用者の方だったら…と思うと、元パートナー同様、嫌な気持ちになったことだろうと思うし、そういったことが続くなら、心穏やかに仕事をしてはいられないと思う。しかも、現在は、法改正などがされたような身体介助を元パートナーが働いていた時代には、してはいけなかった身体介助を行っていることも理不尽だといっていた。そんなことも思い出した。医療も介護も福祉の現場も案外理不尽なことが多い。
ただ、医療や介護の現場だからこそ、自分のした失敗はすみやかに報告することが得策なはずなのに、自身の失敗を他の人に擦り付けるようなことをする人がいるのは確かなことだ。それは自身の保身のためなのかもしれないが、そういったことで、その場をしので、他の人に尻ぬぐいさせているのが〝頭がいい〟と思っているのであるならば、医療や介護のことを学び資格をとっているにも関わらず、正しく対応している人のことを、馬鹿する人たちって〝何なん?〟と思う。藤井風君案件だ。
要は、そういったずる賢い人たちからすれば〝黙っていればわからないのに…〟〝気づいても気づかないふりすればいいだけなのに…〟といったことで、正しく対応している人たちを馬鹿にしているようだったら、馬鹿される筋合いはなく、人として残念なのは、その人たちで、頭悪いのはお前らだくらいな気持ちでいいと私は思う。
そんなずる賢い人たちが介護や医療の現場で生き残っているとするのであれば、恐ろしいことだし、植松死刑囚がいた施設内に、そういった人たちがいる現場だったとするならば、自身の持つ〝思想〟がおかしな方向性へ向いてしまうことになるのは、わからないまでもないなと思ったりするのだ。
(※注:あくまで、これは、私の想像範囲での話になるので、植松死刑囚が働いていた施設の話とは混同しないで読んでいただけたらと思う。)
そして、私が1番問題だと思っていることは、医療や介護の現場で、助手的な立場になっているヘルパーの担い手が、社会的な弱者の立場の人たちの墓場のようなことになっていることが一番問題だと思う。しかも、対価以上のことを求められるだけでなく、介護だけにとどまらずそれなりの知識も必要だ。
公衆衛生のことも学んでいないと自身が病気になってしまうリスクも高い。介護の現場だからこそ、社会的な弱者に〝介護福祉士〟という〝光や希望〟という名の〝餌〟をぶら下げて、雇用を推進してはいけないと思う。余裕がなければ、人を支えることなんて無理だ。自己犠牲だけでは、成り立たないことは、現コロナ禍が起きている現状だからこそ、わかってもらえるように思う。
※この場合の弱者というのは(ひとり親、発達障害や精神障害、海外からの留学生の労働弱者のことです。ただ、労働弱者の場合には、仕事以外の生活においても余裕がないので、その人たちの精神的なケアも必要だし、資格をぶら下げて安易に推進するものではないと私は思っている。案外問題にされていないことなので、問題提起としてこうして記事にすることにした。
社会的な背景の中にある、私たちの知ることがない〝小さな物語〟の中に、実は〝真実への扉〟の鍵が眠っているように私は思っているのだが、そこにいたるまでには、それぞれの〝犯人〟やそういった傾向のある人たちに気づいてもらうほかない。
何が自分をそうさせてしまうのか、そして、ネガティブなことで自己表現を起こさずとも、自身の人生や自身の中にある〝憤り〟や〝怒り〟をどう解消していけばいいのかは、ヒントは世の中に沢山ある。
とにもかくにも、散々なことが身の上に起きながらも、それと並行して、私は私なりの〝自己表現〟を行ってきたのだが、そっちも上手くいかず、現在進行中なのである。その話は次の回で…。
その⑤へ続く
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