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きょうのそら

2023年11月28日(火)自己作品のエンドロールはみれない


 夏の終わりくらいにみた天気予報での予想通り、暖冬なのかしら…。やっぱりそうなのかしら?? でも、こういう時って突然の寒波襲来からの大雪とかあったから、油断大敵デスです。

 生活保護世帯になったのは、5年前の暮れのことでした。11月で障害年金が停止になったことに加え、それ以外でいろんなモノを滞納していていて生活が行きづまっていました。
 就活をし始めたのが遅かったのもあるのですが、その時は人が怖くてできませんでした。また、入院するくらいのことになってしまうんじゃないか…と思って。 
 それでも、行動しなければ何も変わらないし…と思って、就活をしはじめたのですが、どこにも採用されず…。いろんな場所へ相談に行ってみたけれど、最終的には生活保護を申請するほかなくなってしまって…。
 布団にうっつぷして大泣きした日は人生の中でワースト3位にはいるくらい、自分の至らなさに歯がゆさと悔しくすぎて号泣しました。怒りを通りこしてそれらを解消するには、泣くほかなかったので。
 今になっては…いい思い出…とは言えません。しなくてもよかった思い出だったなと思います。 ひとしきり泣いて切り替えて(切り替えて生きるしかなくなったからなんですけれど…)生活保護申請をし、それから、怒涛のように役場や司法書士事務所への相談からの手続きをしつつ、就活をして翌月から働く場所が決まって、年末年始は短期のバイトをして…息子と2人で生活をしていました。

 そんな時、ラジオを聞いてメッセージを送ったりして、そのメッセージやリクエストが採用されることが毎日の楽しみで励みにしていました。
 信じられないくらい良い事も悪い事も私と息子に訪れ、泣いたり笑ったり時には怒ったりしながらそんな日々を過ごしていました。
 だからって、不幸だったわけではなく、それなりの幸せを感じられていました。受給をはじめた時は、本当にお金がなくて、食べ盛りの高校生男子のお腹を満たすことのほうが精一杯で、必要最低限のお金をやりくりしながら、自分のケアも自分でやるほかなくって…。そのうち、てんかんという診断を受けてしまったことから、車を手放すことになって…。

 車が必要不可欠な地方で、1時間に1本バスが通るか通らないかの場所に住み、地域の公共交通機関を使いながら、重度域の障害のある子どもと地域で日常生活をやっていけるのか…を人体実験することになった1年は、心が折れそうになることもありましたが、幸いなことに私の場合は両親が健在だったことで最低限、援けてもらえることができたので、なんとかできたのです…。これが両親がいなかったら…と思うとぞっとします。 しかも、その時は、父の癌が発覚して治療をやりはじめて間もない時期でした。

 そんな日々から今年で5年目。福岡へ移住をしたのは3年前のクリスマス。福岡へ来たら穏やかな生活になるだろうと思っていたのですが、生活は確かに楽にはなりましたが、2年の間、行動障害が起きる息子をなんとかしつつ、自分も発作を繰り返しながら、暮していました。大分楽になってきたと思うと、何か問題が起きてはそれをなんとか越えてきました。

 生活が少しずつ楽になってくると、子どもも私自身も昔のトラウマだったのか、不具合が出てくるようになりました。でも、それこそ、楽になり緩んだからこそ、浮かんでくるだけの話で、そういう時にきちんとケアをするほかなくて、そのケアにはそれなりにお金も必要で…。相談をしても、知恵を貸してもらうことは出来ても、実質行動するのは、自分しかいなくて…。前に進みたいのにその場でずっと足踏みしているようにしか感じられなかった日々も今の自分だからこそ、未来から眺めてみれば、もがきながらもちゃんと進めていたのだという感覚を感じられるようになったので、また次の段階へ進めるのかもしれません。というか、そうであって欲しいなと思っています。やっとここまできました。

 〝見通しがない〟ということの意味は、全世界共通で〝コロナ禍〟を体験したからこそ、重く受け止めてもらえたらな…って思うのです。私はそれなりに折り合いをつけられますが、知的障害を伴う自閉スペクトラム症だからこそ〝見通しがない〟ことが苦手な特性を持つ人にとって、どれだけの負荷がかかっているのか。それでも、そんな彼の口から

「我慢…」

という言葉が出たことがあるんです。
 うちの子は、体調不良だったり、精神的に不安定になると行動障害が出てしまうことがあります。よく、障害特性の一つにされてしまいがちですが、実はそうではありません。
 1次障害があることで行動障害が起こりやすいというだけで、彼自身の問題ではないことのほうが多く、環境要因が原因なことのほうが大きいんですね。そして、障害や人格だけのせいだけでもなくて、大半が周囲の理解が足りていないというのが現実です。

 私や息子が、この5年でした体験をいつの日か沢山の方へお話できる日が来たらいいなと思いながら未来に希望を持って〝今〟を生きています。

 私も息子も今日や明日死んでしまうかもしれない病気や障害ではありませんが、状況によっては、明日また元気に朝を迎えられるかどうかなんてわからないと思うようになってしまいました。だから、一日も無駄な日がなくなってしまったんですね。どの日も特別で大切。だから、できれば先延ばしにしたくないのです。だからこそ、焦ってしまう人の気持ちもわかります。
なんでかって、それだけ、周囲の人が自己都合でしか自分に意識を向けてくれていないということを無意識に肌身で感じているからだと思います。

 そして〝見通しがない〟ということは、自分たち以外の社会のみんなには台本があって最終回がどこなのかもわかっているのに、私や息子には、それらのネタバレが一切されてない状態で生きているという感覚なんです。
 それがどういう心情になるかを想像してもらえば、少しは私たちの気持ちを感じてもらえるかもしれないなぁと思う今日この頃です。

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