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#024_ざざっと成育歴②之九

〔思春期から青年期までの変〕

青々と茂る季節の迷路
そろそろ終わりますわよ…

 ざざっと…という割に、なかなか長いな私の成育歴。これでも、まだ青年期に入る前の学生時代までのアレコレなのだが、流石に、暗闇突入し最中だったこともあり、過去の出来事を振り返ったことで、最近見なくなっていた夢を見るようになったりし、無意識下で負担がかかっていたようです。それだけ当時の自分は追い詰められたり、思い込みからの被害妄想等で苦しんでいたんだなぁと思い知っている次第です。

 これまでの成育歴を読んでいただいた人にはわかっていただけるかと思いますが、私は、人との関係性の中で傷ついたりもしたし、裏切られたりしたことで人を疑いながらも、まだ、どこか【人】を信じたいという気持ちも併存していました。というよりも、今だにそれを信じています。
 それは、支配やコントロール又は虐めたりすることでしか、人間関係を築けない人たちが大多数いた反面、そういった関係性ではなく、私のことをきちんと一人の人間として認め、関わってくださったりした大人や(年上年下に限らず)友人も存在したからです。
 だからこそ、相当恨んでいた時期もあったし〝過去のこと〟として許せていたと思っていたけれど、自分史を綴りはじめたことで、過去の出来事を振り返ってみると、全く許せていなかったことに気がつくことになりましたが、気持ちの整理がつき、ようやくその当時から握りしめたままでいたネガティブな思いが昇華されているように思います。
 中学の頃までは、メンタルが追い込まれた時に小学校時代のK先生に追いかけられる夢をみていましたが、高校を卒業してからは自分自身では精神的な負担をあまり感じていない時でも、中学時代の同級生をボコボコに殴る夢や罵倒している夢をみることもあり、そんな夢をみる度に自身の中に眠っている〝怒りの感情〟を夢の中で〝発散〟させているのだろうと思うようになりました。

 そういったこともあり、万が一、今まで溜めていた〝怒り〟が爆発した時のことを考えると自分自身が【恐ろしい】と思ったし、たとえ夢の中であったとしても、人をボコボコに殴っている自分を認められず〝罪悪感〟を抱えていた時期もあります。それくらい、夢と現実の境界線が無いに等しいようなモノというか夢と現実が地続きだったように思うのです。
 ここ最近は、怒りの感情を抑制しないようにしているので、言いたいことは、例え罵声になっても伝えるようにしていますが、大分マシにはなってきたように思います。イヤハヤ、世の中、私も含めて人を怒らせることって、早々できないものだと思うものですが、簡単に切れちゃうときもあるよね…なんて思いながら自分を嗜めています。

 『苦手な人もいるけれど人が好き』な自分。人に傷つけられたり自分も人を傷つけたからこそ、どこかチグハグな自分でも友だちと呼べる人や親友と呼べる人や仲間と呼べる存在が欲しかったから、自分も発達障害の診断がつくまではあきらめませんでした。しかも、積極奇異タイプ。それにあわせて、興味関心の方向性や衝動性をコントロールできないまま、サバイバルな社会生活を送ることになり30年以上かかってしまったけれど、様々な人間関係における失敗体験のお陰で、良くも悪くも現在の私の仕上がりだと思うと「仕方がないよな」という7文字で完結されます。
 そんなこんなで、人を信じたい気持ちが萎えなかったのは、物心ついた頃から今現在まで、私にとって、飯屋じゃなく〝救世主(メシア)〟みたいな存在な人に出会ってきたからだろうと思います。
 この章の見出し『青々と茂る季節の迷路』の節目で出会ったそんな人々との他愛もない話も綴っておこうと思います。


最強に変身中デモ、支援次第で〝乖離〟はするものデス

 自分史を綴り始め過去を振り返ることで、思春期時代のどこかで止まっていた時計の針がまた動きはじめたからか、頗る調子が悪い時の夢をみることが増えてしまった。ただ、毎日夢をみていた頃とは違い〝夢と現実〟が地続きな感覚がかなり薄れたことで、夢と現実の境界がハッキリ感じられるようになったので目が覚めた後も気持ちを引きづることが激減したのは便利だ。

 そういった経緯もあり、その後の事柄が書き進めることができないでいた。ある程度の覚悟をして過去を振り返ることにしたのに、PCに向って綴り始めても何故か手が止まってしまう…。というより、脳内にあるハズの様々なデータがロックされた状態で、しかもそのキーワードを思い出せず〝ある〟けど〝取り出せない〟状況になっているのが自分でも不思議でならない。それは、過去を振り返ったことから負担になっているからだけはない。

 前の章のどこかの記事にあったと思うが、1年前の春〝てんかん〟と診断されたことから車の運転を諦めざるほかなくなった。公共交通機関を使い日常生活を行うことになったことはとても不便なだけでなく、コロナ禍になったことも重なったことで、車が使えない生活は保護世帯になったことから余儀なくされる、糞真面目に正しいことが求められることに加えて、好きな時間に好きな場所へ自由に出かけたい場所へ行くことができないといった、不自由な生活は私の余暇の1つでもあったドライブができなくなってしまったことは本当に辛かった。

 それだけではなく、息子が行きたい場所へ連れていくことができなくなったり、遠方に住む高齢者になる両親に頼るほかなく、そのことから、親子間の確執が生み出されることにもなった。今現在、母はなんとか大きな病気をすることもなく元気だが、父は、数年前から肺がんの治療中だ。免疫療法での治療なので、一般的な抗がん剤治療とは違って多少楽な治療ではあるようだが、それなりのリスクは伴っているし、副作用もあるのに、その治療を受けるために3時間弱の時間をかけて車で通院していた時期でもあったので、そんな両親に、車を出して欲しいとお願いするのはとても辛く不憫に思っていた。それでも、その時は頼る場所もなければ両親意外に頼れる場所も人もいなかったから仕方がなかった。

 だからといって、熊本市の方へ引っ越したとしても、私のような身の上になってしまえば、いくら政令市例都市になった熊本市でも、私のような身体的にも認知的にも介護度が低い場合には、成人の場合は支援体制が手薄い。ましてや、同じ病気や障害を持っていても、自治体毎での審査基準も違えば支援体制も違う。それだけに限らず、必要最低限の暮らしが保証されても、私のような身の上の場合は確実に【人生詰む】ってことになる。

 思春期の頃から中年になるまで、握りしめ自問自答し続けていた〝生きる意味〟の答えが〝生きている意味なんてなくてもいい〟と腑に落ちた矢先、生活保護の受給をすることになったことで「健康かつ文化的生活」ということが自分自身にとってどういったことなのかを改めて考えさせられたことから、他県への〝移住〟を考えるようになった。
 それと同時に、世界中がコロナでパンデミックに陥ってしまったことから一旦〝保留事項〟にしていたのだが、新型のウィルスだからこそ、数年単位での終息を見据えた日常が続くことを考えた時、熊本市よりも都会になる【福岡市】へ移住することを決行した。そして、現在〝福岡市民〟である。

 現アパートは以前住んでいたアパートよりも古いだけではなく、私の体調不良を悪化させている一番の起因になってはいるものの、それ以外の事柄では、大抵の人たちが喜ぶ〝ディズニーランド〟や〝UFJ〟より私にとって〝ワンダーランド〟だ。
 〝パーフェクト〟という言葉より〝プライスレス〟といった言葉のほうがしっくりくるくらい。 私次第で〝暮らし〟方が選べる地域だということを痛感するたびに、なぜ、今まで福岡の地で暮らそうと思わなかったのかが不思議でならないし、正直言ってそんなことに気がつけなかった自分自身が悔しい。 それでも、以前の私のままならば、たとえ、この地へ移住をしたとしても結果的に実家に帰ることになったり、なんらかの犯罪に巻き込まれたりしていただろうと思われるので、今現在の私で移住して良かったようにも思う。なぜなら【最強に変身中♪】の過程の途中だからだ(笑)

 移住したことから、かなり生活は〝楽〟になったのだが、支援者との〝価値観の違い〟もあり様々なことが起きたことから、一度〝寛解〟したと思っていた〝乖離〟が発現することになった。なんでそうなったかの経緯は、別の章で詳細を綴りたいと思う。なぜなら、一文では収まりきらない『あんなことやこんなこと』だけではなく〝社会保障の制度〟や〝支援〟に纏わる話だからだ。

 支援をしてもらう立場と支援する側の制度に対する認識にとどまらず、〝精神性〟や〝倫理観〟の相違から巻き起こってしまう不具合は、支援を受ける側の負担にしかならないだけじゃなく、最終的な尻ぬぐいをすることになるのは当事者本人になるからだ。
 ただ、ここで一つ言っておきたいのは、当事者が巻き起こすかもしれない不具合の尻ぬぐいを食い止めるハズのためな支援が、結果的に当事者自身が尻ぬぐいをしなければならない事態となってしまうことに気がついていない支援者が多いということは先に述べておこうと思う。(マヂモウムカツクンダYO!)
 ああ、それにしても前置きが長いのは、私の性分なので仕方がない。ここ数カ月、ぶっつけ本番で鬼渡(※渡る世間は鬼ばかり)ばりの長台詞をアドリブで話さなければ理解されない状況が続いているので、そのモードからなかなか抜け出せない状況に陥っていることもあり、本題に入る前にもう少し付き合っていただけたらと思う。

〝人〟が癌だったからこそ〝人〟で癒すということ①

 実は、この記事を書き綴り始める1週間ほど前に、福岡に来てから数度目の〝乖離〟が起きてしまった。その状態から元に戻るまでに、いつもよりも時間がかかっただけでなく、緩やかに記憶を取り戻していくような身体症状になるという経験をし、なんとか自分自身を取り戻せた(苦笑)ただ、まだ、危ういww
 本当はもっと早い時期にこの章を綴り始めようと思っていたのだが、一度は頑丈に貼られたお札も、粘着力が弱くなれば(油断すれば)剝がれやすいだけではなく、そのお札ごとパカっと蓋が開いてしまうように、一度大きく発現してしまった〝乖離〟が、不特定多数の人の前で起きても許されてしまう現実を受け入れてしまったことで、私の場合には、それらが簡単に起きてしまうようになってしまった。なぜなら、今の今まで、そんな私を解放してもいい人を選び〝乖離〟している自分を解放してきたからだ。だからこそ、私の身の上に起きている障害を軽くみられてしまっていただろうし、私も、それが【治る】ことだと勘違いしていたからでもあるように思う。

 解放できる場所が一気に増えたことで、今までは〝乖離〟してしまう自分を抑制できていた場面でも、コントロールできない状況になってしまった。だからといって、これは、一時的に悪くなっているようにみえると思うが、私にとっては、私自身の特性を知ってもらうことでしか得られない支援のためには、より良い出来事が起きているんだろうとポジティブに受け止めている。
 その数度目の大きな〝乖離〟が起きる前に、かなり、久しぶりにTSUTAYAでDVDをレンタルしていた。そのうちの1作品を観たことがキッカケとなり綴り始める〝やる気スィッチ〟を押してもらうこととなった。有難い。

 私は、どちらかといえば〝流行〟に疎い。特にエンタメに関しては、自ら情報を探そうと思うことが少ない。余程、心が動かされないと行動に移さない。特にレンタルに関しては「忘れることが得意」だからこそ、なるだけ借りないように努めていたからでもあるが、急な体調不良に陥ることで期限内に返却できなかったり、せっかくレンタルしても観る気力がなく1度も観ることもなく返却することになることもあるからだ。だからこそ、よほどのことがない限り〝レンタル〟することは控えてきたのだが、【時は満ちた!】瞬間が〝到来〟してしまった。しかも単純な理由で…。(推しの存在は偉大だ。偉大過ぎて自分でも驚いている。)

 せっかくレンタルするので、旧作のドラマとあわせて3作品借りたのだが、その中の1作品は、年下の尊敬している人がおススメしていた「はちどり」という韓国の新作映画で、その作品がおもいがけないカタチで、至極私に響いたことでやる気スィッチが発動することになった。なぜなら、国や年代は違っても、思春期の頃のあのなんとも言えない〝ザワザワ〟や〝もやもや〟といった葛藤し自我がそぎ落とされていく時期がその作品の中で描かれており、その当時の自分が主人公に重なったからだ。

 ただ、思春期時代を思い起こさせる作品は、この作品以外にもたくさんあるし知ってはいるが、今現在の私だからこそ「はちどり」という作品が私に響いたのは、自国の作品ではなく、今まで出会った私の周りの人たちが嫌悪感を抱いていた韓国の作品だったからということは案外大きいように思う。 なぜかといえば、思春期時代のあの何とも言えない「孤独感」や「疎外感」を抱えやすい時期を越えていく過程を、盛ることもなく、大袈裟でもなく日常生活を送る様子が淡々と描かれていたからだ。それに加え、人だからこそ〝自己〟と〝他者〟といった2者関係は、国や文化は関係ないということを教えてもらった気がしたからでもある。

 そして、一番印象深かったのは、自身の身に降りかかる事や環境の中で巻き起こる大小様々な問題に主人公が自問自答している時、キーパーソンになる人との出会いとその人との数回の〝やりとり〟が、思春期時代の私への〝問い〟だけでなく、同時に〝答え〟をもらえた気持ちになれたことは。ただ、ただ、嬉しかった。よくわからない涙がとめどなく流れた。
 とにかく、キーパーソンからの主人公への〝問い〟は、私にも刺さった。それは、黒板に書かれた文字だったのだが、人によってはナイフで〝ズブッ〟と一刺しされるくらいな言葉だと思う。けれど、私はその時代にそこで行き詰まって大人になるまで握りしめていたからこそ、ナイフには感じることはなく、刺されたとしても【虫】いや、ワクチンを打たれたような感覚のほうが近い。
 注射器で〝ぶすっ〟と刺され、数ミリの液体がじわじわと身体に染みわたっていくあの感覚だ。そして、少量の薬剤が私の細胞レベルでの〝何か〟を変えていく。というより何かが書き換わっていくといった感覚なのだ。とにもかくにも「はちどり」を観たことで、改めて自分史を綴り始めるきっかけになったことは〝ありがたい(カムサムハムニダ)〟。この場を借りてその作品を教えてくれた年下の尊敬する人に感謝したい。(ありがとう!年下のおじさん!)

 私にとって、尊敬している人が教えてくれたからこそ、絶対私からは観ることはなかっただろう作品に触れる瞬間が訪れたのだから面白い。そういったことが、人に限らず物事に対する〝ご縁〟から紡がれていくサイドストーリーに繋がっていく。そういった瞬間(とき)に立ち会った時に『ああ生きていてよかった』と思う。そういった意味でも、自分以外の他者との関係性の中で化学変化が起きた時〝ふぅーっ〟とでる〝ため息〟と共にじわっと胸が温かくなる瞬間が、私にとって癒されたと感じることが多くなった。

 その瞬間は、快楽の扉がパカっと開くような解放感ではなく、じわじわと溢れるといった感覚なのだ。以前の私なら、どちらかというと解放されることのほうを好んでいたように思う。でも、そういった解放感は一時的なもので長く続かない。どちらかといえば、言葉にはならない感情が溢れて思わず漏れてしまう方が私の場合には、予後がいいように感じる。それは、老いたということでもあるのかもしれないが、それだけ、人の中で傷つき、拗れてしまった傷だからこそ、対処的なモノ事で瞬間的に解放されるだけの癒しでは長続きしないことを私は思い知っているからだと思う。

 人で傷ついたからこその傷は、痣やシコリになり、やがて〝悪性腫瘍〟のようになってしまう事柄が多いように思う。新鮮な野菜を手早く処理し瞬間冷凍してしまうような事でその場を収める(対処する)のではなく、できるだけ早い段階で、自らが気がつきそれらを認め、下手くそな手当てでも互いに修復していくことが望ましいことや、掛け違えていたボタンや絡まっていた運命の糸がほどけたり、結びなおされたりしていく過程を作品の中で感じられるような場面がたくさん描かれていただけにとどまらず、ここ数年で私が感じていたことを言語化されているだけではなく、非言語化での表現方法にも驚いた。

 同じ日本語を用いても、理解してもらえないこともある。自分にとって都合のいい空気を読むことを望まれる次元で生きることが望まれる世界線。同調圧力や謎な〝忖度〟からの〝期待〟は、国や環境が違えど同じなんだなと思った。そして、それは時代や年代に関係なく、思春期特有の自己の中の篩だか振り子が振れて自己の真ん中を見つける作業を見出す時期に出会うキーパーソンになる人は、その時期に彷徨っている人にとっては、ある意味とても貴重な存在だ。そういったことが「はちどり」の中に描かれていた。だからこそ「〇〇だから…」といった一括りの言葉で国や人が分断されるようなことを投げかける人たちの枕詞をつけて発言している人は、国や人種は関係なく、ただ単に偏った人たちだけだたったのだと思うこととなり、かなりスッとした。

 だからといって、私はエンタメの世界や映画に関して全くといって無知に等しい人間だ。そんな私がこういった発言をするのはどうかとも思うのだが正直な感想としては、邦画ではおそらく表現できない感性なんじゃないかと思うのだ。なぜなら、日本人だからこそ、失われてしまった感性を取り戻すことは難しいように感じているからだ。
 なぜかというと、環境や文化の違いではなく、日本特有の過去から引き継がれてきたことから、その人がもつ本来の個性をそぎ落とされるような教育を受けてきたり、上辺の指導者が変わることでその場しのぎの教育や教養しか与えてもらえない環境の中で成長していくほかなかった人が多かったように思うし、ある時期まではそれでよかったかもしれないのだが、結果的には不具合が起きている現状なのが〝現在〟だと思うし、それが一体どういう意味なのかは、私の年代の人たちならば、なんとなくわかってもらえるように思う。

 なんせ、私は、今の自分の感性を思い出すまでに〝30年〟という時間を費やしてしまった。自分の親や周囲の大人から酷い虐待を受けたわけでもないし、酷い虐めを受けたワケでもない。ただただ、一般社会で繰り広げられている人間関係を真に受けすぎたことと、私には「はちどり」の主人公の【キーパーソン】のような人物には出会えなかったことが、私の感じていた自己矛盾や理不尽な事柄に対する〝怒りの感情〟を自分の内側へ内側へと向わせることでしか昇華できなくなってしまうことになり、負の連鎖となってしまった。そして、私の場合には、それらが内側に向くことで、他者へ対する攻撃が他害になることはなく、自身へ向くことになり〝乖離〟することで、私ができる自身と他者を守れる最善の戦略にとなったのだろうと思う。そうでなければ、もしかしたら、刑務所の中で死刑を待ちわびて生きていた死刑囚だったかもしれない。
 それでも、そうならなかったのは、私がこれまでに出会った人たちの中で、それなりに、私に関わってくれたキーパーソン的な人たちが存在したからだ。それでも、長い年月がかかってしまったのは、私が一番苦しんでいたことを誰にも伝えられなかっただけだからだ。それも、本当に些細で今考えればどうでも良いことだったのに…。




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