言の葉は命そのもの
まだ私が若かった頃
ある偉い人がこんなことを言っていた
〝味方してくれる人が
誰一人いなくてもいい…〟
あの頃の私には
強がってるようにしか
思えなかった言葉
どこか寂しげで孤独な自分を
窘めているだけの言葉の羅列を
ただ、吐き捨ててているようで
あまり良くは思えなかった
あれから随分時が過ぎ
いざ、自分がそういう立場にたち
〝自分が自分の味方になれば十分〟
だと私は思うことになったのだけれど
自身から溢れた言葉でも
自身を窘めているだけにすぎないことに
気づかされ心がざわつくだけだった
ただ、よくよく考えてみれば
私の味方は〝ゼロ〟ではなく
息子の存在に気がついた時
とても安堵して不安から解放された
孤独な自分や強がりな自分を
認めざるを得ながらも
世界のどこかにたった1人でもいいから
自分の味方になってくれる人がいたら…と
そんな本音を握りしめている自分に
気がついただけではなく
その味方が実は自身の目の前に
存在していることに気がつき
不安から解消されたことで
〝人は弱くもないし強くもない〟
という一文を思い出すことになった
その言葉も随分昔に別の知人が
当時行き詰っていた私に教えてくれた
お呪いのような文言なのだけれど…。
その事柄から私の中に眠っていた
なんらかの意識が呼び起され
私たちが〝陰陽〟どちらかだけの世界に
存在しているわけではなく
どちらも存在している多様な
世界の住人であることを
私に思い出させてくれた
人として生きている中で
体験とともに言葉は繰り返し甦り
新たな体験と同時に昇華され
そして新しい言葉へと
輪廻しながら次元上昇し
紡がれていくのだと思う
そして、時代と共に移ろぎながら
人から人へ受け継がれ
その言葉を一人一人魂に宿し
時代を越え誰かの中で生き続ける
〝人〟というものはそうやって
次世代へ命が紡がれていく
生き物なのかもしれない